ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和10年(1935)-涌羅野義塾卒業式の案内

2013年01月11日 06時09分45秒 | Weblog
 昭和9年11月~10年10月の社町社区事務所の「往復文書綴」の中に昭和10年3月9日付の涌羅野義塾第6回卒業式の案内状が綴じられています。
 涌羅野義塾(ゆらのぎじゅく)は、大正3年(1924)に社町の識者や女学校の先生によって学ぶ意欲はあっても経済的な理由などから進学できなかった青年のための夜学塾として開設され、昭和3年(1928)には、昼間制に改められた中学校に準ずる各種学校のことで、高等小学校を卒業した多くの地方青年が学びました。
 「涌羅野」(ゆらの)は、社市街地を南北に走る道路(旧県道)から西側に広がる一帯をさす地名で、大師堂のある加東市社の持寶院の寺号も涌羅野山慈眼寺持寶院というこの地名がついています。また、現在、持寶院の向いに「ゆらのホール」(社一区公民館※写真)がありますが、今の会館に建て替えられる前、ここに木造の建物があり一区公民館として使われていました。この木造の建物が「涌羅野義塾」の校舎だったそうです。
 案内状は次の通りです。


拝啓春寒料峭ノ折柄御尊大益々御清勝ノ御條奉大賀候
来ル三月十七日(日曜日)午前正十時ヨリ本塾第六回卒業挙行仕候何卒萬障御繰合御臨席ノ栄ヲ得度此段御案内申上候

 三月九日      涌羅野義塾

宮野区長 殿       
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