メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

作詞家ジョニー・マーサー

2016-11-06 21:06:30 | 音楽一般
前回のアップでシャンソンの枯葉が米国に入った時のことに言及した。前半のverseを省いて、後半からというのがヴォーカルでも楽器演奏でも定番となっている。

この時の訳詞はジョニー・マーサー(Johnny Mercer 1909-1976)である。ところがおもしろいことに、ジャック・プレヴェールの原詩の前半(verseに対応する部分)では、嘗ての恋人に、思い出してほしい、あの美しかった日々を、太陽は今よりも輝いていた、しかし今、枯葉がかき集められ、思い出と悔恨、忘却の寒い夜、でもあなたは忘れはしないだろう、あなたが私に歌ってくれたあの歌を、、、とある。
  
そして後半では、その歌で歌われる愛し合った二人、そして音もなく壊れていった愛と別れ、、、、
つまり枯葉は前半にしか登場しない。ところがこれが曲としては後半だけになったものに、英語の訳詞は窓辺にふり落ちるautumn leaves、輝いていた太陽、それが君が去り、冬の足音が聞こえ、枯葉が落ちてくると、去りし君を想う(I miss you)、となる。
 
強引といえば強引だが、米国でヒットさせることを考えれば、こうして必要な要素を過不足なくコンパクトにまとめて、少し甘酸っぱい、センチメンタルなムードの曲にしたのは、成功だったというしかない。
 
マーサーは作曲も、歌手もやったが、音楽教育は受けておらず、楽譜も読めなかったそうだ。それでも1940年代を中心に多くのヒット曲を書いた。そしてあのキャピトル・レコードの三人の設立者の一人である。おそらくシナトラ絶頂期のキャピトル時代、マーサー作詞の曲も多く歌っているが、アレンジとバックのネルソン・リドルともども、彼をよくサポートしたのではないか。シナトラのアルバムにプロデューサーとしてクレジットされてはいないけれど。
 
その後、今もよく知られているものとしては「ムーン・リバー」、「酒とバラの日々」がある。いずれも作曲はヘンリー・マンシーニ。
 
以前に書いたことがあるけれど、後者の中に出てくる Nevermoreというフレーズの出典は、エドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」らしい。吉増剛造の自伝を読んで初めてそうらしいとわかった。
 
この曲、ときどき歌うのだが、このフレーズはいつもはてなと思っていた。今はわかっているとまでいかないが、こういう謎があるのも楽しみといえる。
 
さて、プレヴェールの原詩は、恋人たちの幸福と悲痛を突き放して描き切って、秀逸だ。この人の有名な詩で、フランス語の教材としてもよく使われた「朝の食事(Dejeuner du matin)」と通じるものがある。やはりプレヴェールはいい。

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