メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

最相葉月「セラピスト」

2014-04-13 16:34:46 | 本と雑誌

「セラピスト」 最相葉月 著  新潮社 2014年1月

 

心の病いについて、かって大きな影響力を持っていた河合隼雄と中井久夫、そして「箱庭療法」と「風景構成法」をわかりやすく紹介しながら、それはどういうものなのか、治療とはなんなのか、飛躍を避け、文字どおり手探りで書いたものである。

 

精神医学というと何かこわい世界のようであり、あつかう病についても考えたくないようなイメージがあったが、ここでは心の病いについて医学の診断治療というものでなく、まずカウンセリングという方法から入っている。カウンセリングが日本に本格的に入ってきたのは戦後、それも米国からのようだ。

 

とにかく、対象となる人、ここではクライエントと呼ばれるものの傍によりそい、辛抱強く話を聴く、言葉が出てくるまではいつまでも辛抱強く待つ、ということからカウンセリングは始まる。そういうことも知らなかった。

そして、カウンセラーとの間で、了解されれば、箱庭を使ったり、風景の絵を描いてもらったりしながら、それを会話の進行のサポートにしていく。ただこれはあくまで結果としてであり、強引に解釈をそこで加えたりはしない。

 

随分時間がかかる、たいへんな仕事であって、その後、現在のように病む人が多くなり、治療する側、カウンセリングする側の人が足りなくなってくると、このような方法は困難になってきているようだ。

 

それでもこの二人を中心にしたこれらの方法や事例は、この分野がどういうものか、どういう困難があるのか、また中には希望もあるのか、について、著者の説得力ある記述にまとめられている。

 

著者自ら中井に風景構成法を使ったカウンセリングをやってもらったり、最後は立場を逆にして中井に絵を描いてもらったりしていて、この難しい、でも少しずつ進められていく世界が、なんとか理解される。

 

最後には著者自身がこの世界に目を向けた事情も明かされ、驚愕するのだが。

 

このタイトルで読む気になったのは、書いたのが最相葉月だったからだ。彼女の「絶対音感」、「星新一」はその取材の充実と、じっくりとした説得力で読ませた。「セラピスト」も読むしかない。

そして、この世界とそれを病む人たち、治療にあたっている人たちについて、少し理解することができたように考える。著者に感謝したい。


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バグダッド・カフェ

2014-04-07 15:51:49 | 映画

バグダッド・カフェ ( Bagdad Cafe 、1987西独、108分)

ニュー・ディレクターズ・カット版

監督:パーシー・アドロン、音楽:ボブ・テルソン、主題歌:ジュヴェッタ・スティール「コーリング・ユー」

マリアンネ・ゼーゲブレヒト(ジャスミン)、CCH・パウンダー(ブレンダ)、ジャック・パランス(ルーディ)、クリスティーネ・カウフマン(デビー)

 

公開され評判になった後にレンタル・ビデオで見た記憶がある。筋についてはうろ覚えだったようだ。 

 

ラス・ヴェガスから少し離れたモハヴェ砂漠の街道(鉄道も傍を走っている)沿いのガス・スタンド兼カフェ兼モーテル、経営している夫婦が喧嘩して夫は出て行ってしまう。そこへ、やはり車で移動中の男女が喧嘩別れして女(ジャスミン)がここを訪れる。別れる時に間違って男のスーツケースを持ってきてしまっている。

 

女はたいへん太っていて、ドイツ国籍、旅行ビザしか持っていない。カフェの女主人(ブレンダ)には息子と娘がいて、息子の方は幼く見えるがすでに赤ん坊がいて、それでもやっていることは初歩のピアノ練習。

他に、ハリウッドから流れてきた年取った絵の職人(ルーディ)と澄ました女(デビー)など。

 

女は金もなく、みんなに溶け込めないのだが、次第に変化が現れる。

この映画の見所はその過程の細かいエピソード、いざこざ、摩擦などの積み重ねである。何か大きなストーリーでコミュニティーの雰囲気がよくなっていくのではない。そこはこの作り手の楽観主義というか、アメリカという社会が、ここでいたるところに銃が護身用として出てくるにもかかわらず、人と人、個人と個人はなんとかわかりあえるようになる、という考えによるものなのだろうか。

 

カフェの主人たちは黒人系、訪れる女(ジャスミン)はドイツ人(これドイツ映画である)、一見どうであっても法律上特に問題なければというスタンスの保安官は北米ネイティブで、このあたりも面白い。

 

画面の色調は時々ほかの映画でもあるものだが、心地よい。

 

主役の女性二人は見事だが、ルーディのジャック・パランスは本当に雰囲気があっていい。そうあの「シェーン」のガンマン。

 

そして私にとって、配役リストでどうしても目立ってしまうのはクリスティーネ・カウフマン、私の世代にはアイドル的な存在だったから。

この役もドイツ人の設定かもしれない。セリフは非常に少なく、カメオ出演に近いかと思っていたら、最後の一言はちょっとわさびを効かせたものになっていた。このころトニー・カーティス夫人だったのだろうか。

 

主題歌はこの映画を知らない多くの人たちにも膾炙したもので、効果的。

それと女主人の息子が練習しているピアノ、最初はごく普通の練習曲をたどたどしく弾いていたのに、少し時間の経過があるとはいえ、最後はバッハの平均律第1番を弾いていた。場面にはフィットしていたが。


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ジョン・フォガティ

2014-04-06 10:10:07 | 音楽一般

ジョン・フォガティの2005年LAライブをWOWOWで見た。

1945年生まれだからちょうど還暦の年、それでも力を抜いたところもなく、かといって無理に若く見せようという気負いもなく、自然体で楽しめるものとなっていた。

 

1970年ころ、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の中心、その後も彼は活動をつづけかなりの評価も得ている。ライブ会場を見ると、同年齢から若い人たちまで広い階層だ。

 

聴いているこっちになじみがあり乗りやすいヒット曲が満載で、アメリカ・ロックの一つの頂点だと思う。このあと、いろんな国の要素、また楽器や技術も関係して、こうして楽しめるロックはすくなくなってきた。だからだめとは言わないが。

 

この人の作品や演奏、今もロックを始めようとする若い人たちがレッスンを受ければ、題材や手本にとてもよくフィットするだろうし、事実そういう音楽教室の教材に取り上げられているようだ。

 

この日演奏された「雨を見たかい」、「プラウド・メアリー」(アンコールの最後)は、私も教室で歌った。それぞれたとえばロッド・スチュアート、トム・ジョーンズの素晴らしいカバーがある。

 


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マイ・フェア・レディ

2014-04-03 16:05:16 | 映画

マイ・フェア・レディ(My Fair Lady、1964米、173分)

監督:ジョージ・キューカー、原作:バーナード・ショウ、脚本:アラン・ジェイ・ラーナー、作曲:フレデリック・ロウ、音楽監督・指揮:アンドレ・プレヴィン

オードリー・ヘップバーン(イライザ)、レックス・ハリスン(ヒギンス)、スタンリー・ホロウェイ(イライザの父)、ウィルフレッド・ハイド=ホワイト(ピカリング大佐)、ジェレミー・ブレット(フレディ)

 

このあまりにも有名な映画を見るのは初めてである。すでにトップスターであったオードリー・ヘップバーンが演じるものとしては、見てがっかりしたらどうしようという危惧があったかもしれない。

 

ミュージカルとしては1956年の初演、日本では1963年から東京宝塚劇場で上演、ロングランとなった。イライザは江利チエミ、ヒギンスは高嶋忠夫、この年か翌年に家族で見に行っている(こういうことはめずらしかった)。

 

こうしてみると丁寧に作られている。台詞がオリジナルでもこんなに多かったのか、映画としてはちょっと長いけれど。

 

さてオードリー・ヘップバーン、歌は吹き替えということは声質でもわかるけれど、私はこの種のものではそんなに問題とは考えない。むしろ台詞の声、特にレディに仕上げられる前のちょっとガラッパチのところがとてもいい。考えてみるとあの「ローマの休日」も含め、この人はお転婆なところがある役が多かったし、それが合っていた。

 

映画公開の年で35歳、レックス・ハリスンは54歳、話をよく考えるとちょっと無理がある。劇中イライザは21歳くらいということだし、ヒギンスも独身主義者が最後主義を変えるかも、というのは、、、

 

このドラマ、階級社会を前提に、それでもそのおかしいところを皮肉り、エンディングでカタルシスを与える。英国でないとこの構図は無理だろう。よく考えれば偽善ではあるが。

 

今回見る気になった一つはアンドレ・プレヴィンで、彼が入ったピアノ・トリオでこのミュージカルをテーマに作ったジャズ・アルバムがヒットし、私も持っていて、最近聴きなおしたところだった。

そして確かめたら意外なことにアルバムはミュージカル初演の年に作られており、その8年後、この映画の音楽担当がアンドレ・プレヴィン、うかつにもこれは知らなかった。

 

編曲とオーケストラの指揮をやっていて、それが上記ジャズアルバムの後というのは面白い。指揮はさすがにうまく、じっくり聴いているとロウの作曲が全体の統一感も含めよくできていることがわかるし、主役クラスの周囲のいろんな人たちの歌声もバランスよく聴き取れる。

 

ところでプレヴィンは音楽関連でオスカーを4回とっている。あのジョン・ウィリアムスが5回だから、それに迫るのだが、そういう印象がないのはその後クラシックで大成功しているからだろうか。

 


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