メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

僕たちのアナ・バナナ

2006-09-09 23:00:21 | 映画
「僕たちのアナ・バナナ(Keeping The Faith)」(2000、米、129分)
監督・出演: エドワード・ノートン
ベン・スティラー、ジェナ・エルフマン、アン・バンクロフト、ミロス・フォアマン
 
幼馴染の男の子2人と女の子1人、長じて再開、さて3人の恋の行方は、というところはそんなに珍しくないのだが、エドワード・ノートン初監督で何を思ったか、ちょっとない仕掛けである。男の子2人は、アイリッシュのカトリック神父(エドワード・ノートン)とユダヤ教のラビ(発音はラバイ)(ベン・スティラー)だった。
日本人から見ると、余計にこの二つの宗教は?という興味で見てしまう。しかし深刻にならずに、それぞれの宗教の理解も少し出来て、初監督の手際がちょっと悪く、進行がまだるっこいが、全体としてはまずまず。
 
やはりカトリックの女の子で、西海岸に引っ越した後バリバリのキャリア・ウーマンとしてニューヨークの2人の下に戻ってきたアナ・バナナ(バナナの方は渾名)のジェフ・エルフマンはそれらしくスタイルも抜群だが、惜しむらくは主役としては目の表情があまり豊かでない。
 
ノートンとスティラーは本人たちもおそらくアイリッシュとジューイッシュなんだろう。考えてみればニューヨークはユダヤも多いのだろうが、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2001、マーチン・スコセッシ)はまさにニューヨークのアイリッシュ受難であった。
 
そういう背景で、なんとかコメディとしてまとまっているのは見る方としてうれしい。
 
ノートン自身カトリックなんだろうが、告解室の場面をうまくコミカルに使っている。IRAのサスペンス映画なら、ここが連絡場所に使われる。
ノートンが恋の悩みを話すのはアイリッシュパブ、ここではブライアン・ジョージ扮する店主が告解室のにわか司祭になるのが笑える。
それに比べるとユダヤ教ならではの場面は「割礼」をうかがわせるところくらいであった。ベン・スティラーは顔立ちからいっておそらくユダヤ系だろう。
 
ラビの母親を演ずるアン・バンクロフト(1931-2005)、亡くなる1つ前のスクリーン。そんなにたくさんの作品を見ていないが、本当にこの人は映画に出るのが好きな人であった。
「奇跡の人」(1960)の情熱、「卒業」(1967)の妖艶、そして晩年の「冷たい月を抱く女」(1993)とこの作品のような頑固と知恵、生涯さまざまな姿でなくてはならないポジションを見せてくれたことに感謝。
 
ミロス・フォアマンはノートンの上司神父だが、身の上話としてフォアマン自身と同じくプラハの春の後、米国に逃れてきたことを語っている。
 
音楽はこれまたクラシックなエルマー・バーンスタイン。
 
二人が下町の子供達のためにユダヤ&カトリックセンターを開き、カラオケの催しを企画するのだが、カラオケセールスのドンというアジア系を演じる Ken Leung が傑作。
 
今回初めて見たのがラビ・カード。ベースボール・カードのようなもので、有名ラビらしい人の肖像がプリントされている。神父からラビへ、子供のころからほしかったカードがラミネートされた未使用状態でわたされ、ラビは大喜びする。
こんなカードがあること自体、ユダヤ教が他の宗教より生活密着型ということなのだろうか。
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