メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ぼくのプレミア・ライフ

2006-09-16 22:01:24 | 本と雑誌
「ぼくのプレミア・ライフ(Fever Pitch)」(ニック・ホーンビィ 森田義信 訳)(新潮文庫)
 
ニック・ホーンビィのデビュー作(1992)。しかしこれに続いて書かれ、映画化されヒットした「ハイ・フィデリティ」(1995)、「アバウト・ア・ボーイ」(1998)等とはことなり、小説ではなく、フットボール(サッカー)を中心とした自伝・評論となっている。
イングランドのトップ・リーグがプレミア・リーグとなったのは1992/1993 シーズン、つまりこの本が出たころであるが、この地域チームとそのファンをベースにしたサッカー文化の理解、ある意味では誤解のまま終わるのかもしれないが、そういう認識を読むものに作ってくれる。
 
ヨーロッパ、アジア、そして世界のカップ戦というのはナショナル・チーム単位でありそれへの思い入れのものであるが、これらは予選リーグ数試合をのぞけば負けで終わりの連戦であり、試合数はあらかじめ不定である。
 
それに比べリーグ戦というのは一年の試合数、相手は決まっており、勝ちが多かろうとどうだろうと決まった数の試合が行われる。これが実は本質的だ。
 
どんなに強いチームを応援していても、結構負けたり、ロスタイムに同点にされ引き分け、絶望の淵ということが多いのがこのリーグ戦である。反対に弱いチームにもチャンスはある。
 
そしてどんなに驚くような負けの結末でも、それは泣こうがやけになろうが受け入れざるを得ないものである。これは人生の受け入れなければならない様々なことと同様いやそれ以上かもしれない事柄であり、著者はそう言ってはいないが、こうして人は大人になりまた子供に少し帰っていくのかもしれない。
というような話が、小さい頃から中年に差し掛かるまで、いろんなパターンで延々綴られる。著者のひいきチームはアーセナルだから、各節ほとんどはアーセナルとどこかのホームまたはアウェイの試合と日付がその題名となっている。
 
もちろんここからかの有名なイングランド・フーリガンの土壌も読み取れるわけだが、それに批判はしつつも著者は、そんなに厳しい処置をしなくても次第に経験的に何とかなっていくと考えているようである。ここらがイギリス的なのだろうか。
 
20年以上まえから、目立つ働きをするアフリカ系の選手には猿の鳴きまねやバナナの投げ込みが行われていたそうだから、よくなるのは相当先かもしれない。
 
ところでこの作品をもとに著者も加わって映画が作られ、あのコリン・ファースが主演したそうである。煮え切らない感じはぴったりかもしれない。
ツタヤで探しているけれどまだ見つからない。いずれWOWOWあたりで出てくるのを期待しよう。
 
これをボストン・レッドソックスに移して映画化したものが「2番目のキス」(2005米)だが、作者自ら製作に参加している。家庭環境、シーズン・チケットを手に入れるに至った経緯はかなり違うけれども、あるチームが好きでというより、何か生活の一部になっているという習慣の表現は同じように良くできている。 
 
子供の頃、まだテレビもないころ、ラジオで大相撲の実況を聞いていると、ひいきの力士が負けそうになったとき、自分でも打っちゃりをうとうとして思わず体がそのように動いてしまった。ファンとはそういうものだろう。
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