エリザベート・シュワルツコップフ(ソプラノ 1915~)が8月3日オーストリアでなくなった(90歳)。しばらくして思い出したように聴こうとかと思ったのが歌曲集「女の愛と生涯」(詩シャミッソー、曲シューマン)で、LPを取り出した。ピアノ伴奏はジェフリー・パーソンズ、録音は1974年、なんと2年後の引退を発表した59歳のとき。
少女が始めて男性にときめきをおぼえ、恋を知り、告白され、婚約、結婚、出産の喜び、と来て突然夫の死で終わる。
別にこの稀代のソプラノの人生ではないから、特にふさわしいというわけではないけれど、実にうまかったという記憶があったから。
久しぶりに聴いて再度感心した。
彼女の歌は、この女性はどんな人だろうと思い描き、イメージを膨らませ、その人になりきって歌う、というのではない。あくまで詩を読み、曲を読む中で生まれてくるものである。単に作品に忠実というのでなく、何度も繰り返すところから、彼女の中に生まれてくるものをよく見、よく聴き、そうして出来上がってきたものだろう。
だが、それが何と官能的な、、、
官能的なといえば、地位を得てからのオペラの役は、モーツアルトで「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィーラ、「フィガロの結婚」の伯爵夫人、「コシ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージ、R・シュトラウスで「薔薇の騎士」の元帥夫人と、多くは中年の結婚している女性、しかも不倫というかインモラルな関係に傾く女性を演じれば、比類ないといわれた。
こういうことがわかってきたのは、こちらもある程度歳とってからで、もっと早くからといってもこれはしょうがない。
「女の愛と生涯」の最後(夫の死のあと)はこうだ。(西野茂雄 訳)
わたしはわたしの中にひきこもり、
ヴェールをおろします、
そこにあなたと、わたしの失われた幸福があるのです、
わたしの世界だったあなた!
原詩(ドイツ語)の最後にも!はあるが、音楽は暗く静かに終わる。
作詞も作曲も男だから、こうありたいのだろうが、そうはいくだろうか。だが彼女の見事な歌唱はしばしそう思わせてくれる。
今、彼女が歌うR・シュトラウス「最後の四つの歌」を聴きながら書いている。彼女の晩年の心境はこっちだろう。