「クラッシュ」(Crash)(2004年、米、112分)
監督(単独ではないが製作、脚本も) ポール・ハギス
サンドラ・ブロック、ドン・チードル、マット・ディロン、ジェニファー・エスポージト、ライアン・フィリップ、ブレンダン・グレイザー、テレンス・ハワード、ダンディ・ニュートン
テーマとドラマのつくりに欲張った作品だが、見事な空振りである。
ロスアンジェルスで車の衝突から起こる人と人との衝突、まさにこのクラッシュから、関係があるともないともつかない様々な衝突が次々と描かれモザイクが出来ていく。皆、白人、黒人、アラブ、ヒスパニック、アジアなど相互人種間衝突の要素があるように見受けられる。
そしてドラマ半ば、これら見ている人からはあまり好印象をもたれない登場人物たちも、家族などに問題を抱えており、彼らも人間なんだ、と思わせる。
と、展開はここから少しずこれらクラッシュを乗り越える要素が出てきて、いくつものクラッシュはつながり始める。解決はつかないものの少し希望も見えてくるというところで映画は終わる。したがって想像したほど暗くも重くもない。
問題は後半希望を抱かせていくところ。たとえばマット・ディロン扮する悪の警官が事故現場に遭遇して女性を助けてしまうところ、ポスターに使われている場面である。いかにもヒューマン映画に出てきそうな平凡なきっかけであり場面である。ほかのクラッシュが良い方向に向かう場面も似たようなもの。
これではドラマにならない。この脚本はほとんど監督ポール・ハギスによるものだろうが、自分が作り出した登場人物、作り出した場面、筋について、それらがどういう力を持ちどっちに向かっているのか、それを観ながら進めるということがなく、はじめからの設計どおり頭でつくっているのではないだろうか。
ハギスは「ミリオン・ダラー・ベイビー」(2004)の脚本も書いていると後で知り、妙に納得した。あの脚本も同じく頭だけで書いたように思える。
今年のアカデミー作品賞を取っているけれども、おそらく多くの人種相互間の問題を抱えている米国では、これに投票しておくのもいいと考える人が多かったのだろう。その種の場面はこの映画の中にもあらわれる。ある意味で米国を移す鏡になりえているのかもしれない。
出演者の中では、裕福な黒人を演ずるテレンス・ハワードがうまい。ワル警官マット・ディロンの部下を演じるライアン・フィリップはもうけ役であった。
ライアン・フィリップの役は唯一皆と逆の経過をたどる。これでもう一つの視点が与えられ、作品全体にバランスが取れているともいえる。
なお今年のアカデミー賞、マット・ディロンはこの演技で助演男優賞にノミネートされ、ライアン・フィリップの妻リース・ウィザスプーンは「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」で主演女優賞を獲得した。
さて気がついたことだが、終盤いたるところでクリスマスの飾りつけが目に入ってくる。そして音楽とともに様々なエピソードによるモザイクが一つのまとまった動きになっていくように見えてくる。
この映画より前の「ラブ・アクチュアリー」(2003年、英)を見た人なら、どうしても比較したくなるだろう。ハギスとて知らないはずはない。
だが「ラブ・アクチュアリー」ではいくつものエピソードが持つ問題がほとんど男女間の愛ということもあって、それら愛そのものの持つ力が、終盤このモザイクを大きく動かし大団円に持っていく。映画としての出来はこちらが数段上だ。