ベートーヴェン
序曲「コリオラン」、交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー
1969年5月28日、モスクワ音楽院大ホール (メロディア)
こういう録音が聴けるのはうれしい。特に第5は久しぶりにわくわくする演奏を聴いた。
そもそも第5あたりになると、ものごころついたころは、誰の演奏をどういう装置できいても(最初はフルトヴェングラー、それともカラヤン来日時のNHK放送?)、その本質的な力は感じ取れたが、だんだんこっちもすれっからしになってきて、この曲を聴く機会も少なくなり、また聴いてもあまり集中できなかった。
この第5はまずテンポが早い。あまたの第5と比べても、トスカニーニと並んで早いと言われてきたカラヤンのなかでも早いのではないだろうか。ベルリンフィルとの最初の全集中のもの(1962年録音)と比べてもこれは早い。第2楽章はかなり短く、その他はほぼ同じではあるのだがずいぶん早く聞こえる。
これは、ライヴの勢い、たぶんデッドなホールと音のとり方(録音自体よいとはいえない)など、いろいろあるのだろう。そしてモスクワに乗り込んで、この日から3日連続公演をやるというテンションの高さにもよると考えられる。
次の日が、バッハのブランデンブルグ協奏曲第1番とショスタコーヴィチの交響曲第10番、その次の日はモーツアルトのディヴェルティメント第17番とリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」。ドイツ・オーストリアでかためて、ロシア・ソ連は得意中の得意チャイコフスキーをはずしてショスタコーヴィチのそれも第5なんかでなく第10番というのは、考えようによってはずいぶん意味のあるものだ。特にベートーヴェンとショスタコーヴィチは、モスクワの聴衆、そして実際に聴いたショスタコーヴィチ自身に力を与えたことだろう。
実は翌年(1970年)来日時に、5月22日、日比谷公会堂で同じコンビによる第2と第5を聴いている。そのときも、日比谷のデッドなアコースティックも手伝って全集盤と比べるとずいぶん乾いた音で、しかも低弦奏者が必死に弾いていたのが印象的だった。それでもモスクワほどの緊張感ではなかった。
この曲は、細部を仕上げるよりは、こういう演奏のほうが聴きがいがあるのかもしれない。とはいっても、オーケストラの集中力は大変なもので乱れはない。60年代の全集に書かれたシュトゥッケンシュミットの解説で「第3」、「第7」、「第9」は彼の(カラヤンの)偉大な業績に属するとあり、第9については後になってだが、これには納得していて、第5はどうもと思っていたのだが、今回の録音を聴くと、ライヴとスタジオどちらがとは一概にいえないが、そして一般論として私はスタジオ派だが、面白いものだ。
カラヤンもこれからライヴ録音が増えてくると、評価は変わってくるかもしれない。そもそもカラヤンの第5ライヴ録音というのは珍しいのではないか。
第6番の全集盤録音は、田園についたときの乗り物が馬車でなくてスポーツカーのようだと評されたものだが、今回の録音では爽快感はそのままに、嵐の場面などの凄み、立体感は、より大きくなっている。