メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ゼルキンのディアベリ

2007-07-01 19:17:06 | 音楽一般
ベートーヴェン「ディアベリ変奏曲 Op.120」  ピアノ:ルドルフ・ゼルキン
1969年4月25日、ロイヤル・フェスティバル・ホール(ロンドン)
BBCのLEGENDSシリーズCD
 
一つ一つの変奏が生き生きと弾んでいて、しかも表情豊か、ピアノは最後まで響きの美しさと、真摯なフレージングを失わない。期待はしていたが、それを上回った。
ゼルキンはこのとき66歳、そういっては失礼だがこんなにソノリティが良いこともあるのだろうか。
ピアノで演奏されるベートーヴェンの変奏曲はとっても好きなのだが、ディアベリは苦手である。
このディアベリの主題をもとにして展開される33の変奏曲、50分を超える全体がまず長く、どうしても退屈する。これはゼルキンの演奏でも避けられない。専門家が分析すれば、この全体がグループ分けされたり、その進行に構造もあるのだろう。しかし、それが連続して演奏され、聴いているときに、流れの中での構造的迫力とでもいうべきものにはなっていない。
 
6つの変奏曲、32の変奏曲、エロイカの主題による変奏曲などにはそれがあって、聴いていると最後はどこかへ持っていかれるのである。リヒテル、グルダはディアベリを演奏しているが、前記三つの変奏曲で素晴らしい演奏を残しているグールドがこれを録音しなかったのは、彼らしい見識だと思う。
 
このピアノ変奏曲の中ではおそらくもっとも晩年に書かれた、そうあの最後のピアノソナタよりも後に書かれた曲は、ちょっと違うものなのかもしれない。
それでも、とにかくゼルキンの演奏ではいま弾かれている変奏、そしてそれと主題との関係に注意をしていれば、他の人のものに比べ、聴くことに浸っていられる。何か好きだけれどちょっとくどいブラームスの変奏曲や小曲集を聴くときのように。
そういえばゼルキンはそれらが得意であった。
 
最後の変奏が始まると、あっ帰ってきたという感がして、それが心地よい。そのあとは、どこか最後のピアノソナタの終盤を連想させる。最後の強打を除いて。
 
このCDには他に1975年同じ会場のライブ録音で、メンデルスゾーンの前奏曲とフーガ、ブラームスの間奏曲・ラプソディなどが収められている。これらの出来もいい。
一度だけゼルキンを生で聴いたことがある。このディアベリの10年後、1979年10月8日、東京文化会館で、バッハの「イタリア協奏曲」、ベートーヴェンの「熱情」、ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」、シューベルトの「即興曲Op.142-2」であった。
 
音も指の動きもこのCDほどではなかったけれど、そうでなくても正直に何か深いところに迫っていく、そしてそこから何かを取り出していることの喜びが伝わってくる、そんな演奏だった記憶がある。

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