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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

マスターズ水泳

2009-10-26 10:43:42 | スポーツ
昨日25日で4回目の参加、連続である。日本マスターズ公認ではなく、東急グループのスポーツ施設内で年2回行われるもの。
 
このところ平泳と背泳で出ているが、今回は25mでどちらもパーソナル・ベストが出た。一週間で泳ぐ回数を増やした効果が出たのかもしれない。
背泳はストロークが強くなり、リズムもよくなったようだ。
 
ただこのところシニアの男性が少し減っているようで、ミドルも元水泳部という感じの人が多い。もう少し敷居が低くなると楽しいのだが。
 
もっとも連続して出ていると、自分が底辺あたりということがそれほど気にならなくなってくるから不思議である。
 
さて、普段のトレーニングより距離も密度も大したことがないのに、疲れや一部筋肉痛がすぐ出るのはなぜだろう。やはり無意識にがんばってしまうからか。
それから、一日プールにいると体が冷える。昼食時は普段の服装に着替え、午後は最初に水に入るまでしばらくの時間、別の乾いている水着に変えては見たのだが。選手クラスがレース続きとなると、さぞたいへんだろうと想像される。
 
来年あたりは、リレーにも出てみたい。

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マスターズ水泳

2008-10-29 15:39:40 | スポーツ
話は前後するが、10月26日(日)、アトリオあざみ野で開催された「東急マスターズ水泳競技大会」に参加した。
十年ほど前にスイミングスクールに初級から入り続けているが、競技会にでるのは5月の前回についで2回目である。
 
これは東急グループのスポーツクラブいくつかの中のものであって、もっと大きな一般向けのマスターズは別にある。ただ、5歳ごとの年齢帯で順位を発表するのは同じようだ。
 
出たのは、前回と同じ25mと50mの平泳ぎ、それに加え今回は25mの背泳ぎ。個人種目3つとリレーに出場が可能という規定になっているから、個人種目はMAXということになる。
 
結果は、25mは前回より0.5秒よく、50mは逆に0.5秒悪かった。悪かったのはおそらくスタートの飛び込みで頭が十分下がっていなかったためにゴーグルがずれて水が入り、前がよく見えない状態のままターンして50mということになり、気持ちよく泳げなかったせいだろう。オリンピックでフェルプスにも同じことがあった、というのはただの気休め。
 
背泳ぎはもともと大の苦手なのだが、この1年くらいで精神的な苦手意識がなくなったため、男子のエントリーも少ないこともあり、出てみた。出てみたが、やはりタイムは多少得意な平泳ぎより3秒も悪かった。スタートダッシュに問題あり?なのと、まだまだ泳ぎなれていないということだろう。 
 
ともかく、マスターズは選手あがりの人たちに混じって大人になってから始めた人たちが、気後れせずに一緒にレースできるという、面白い環境である。どちらかというと、おそく始めた連中がまじめさとリラックスの両面を持ちながら出場していくのが、こういう催しを盛んにするポイントだろう。実力はたいしたことなくても、大会はにぎやかなほうがいい。
 
前回の多摩川はホームであったが、今回はアウェー、入って着替え、レースに出て、昼食、そしてまたレースというプロセスを知らないところで経験するのも、何にせよ学校でも対外試合などやったことないものにとっては、いい緊張であった。

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ツール・ド・フランス2008

2008-08-04 10:44:20 | スポーツ
昨日、運よくNHK BS1で「ツール・ド・フランス2008」のダイジェストを見つけ、録画して見ることが出来た。
1986年グレッグ・レモン(米)初優勝から2005年ランス・アームストロング6連覇まで、NHK BS、フジTVと少なくともダイジェストだけは見逃していないが、2006、2007のどちらか、多分2007は見ていないと思う。
 
2006年以降、ドーピング違反はこれまでにもまして摘発されるようになり、それも日々のレース優勝者、さらには総合優勝者にもそれが出るようになり、誰が強かったのか、印象が薄くなってしまった。
 
今回は最後に来てカルロス・サストレが勝ち、3年連続スペイン勢となった。そういえば、フランス人の総合優勝は、TVで見出した前年のベルナール・イノー以降、ないのである。
次の年はイノーが同チームのグレッグ・レモンにチャンピオンを受け渡すように見せて、自分も色気を出し、結果としてレモンをたくましくした?という実に面白い展開だった。
 
このところ、有力チームのエースが誰で、赤玉ジャージ(山岳王)、緑ジャージ(スプリント王)の争いは?という展開にならないので、裏の駆け引き、これが面白いのだが、それがほんとに裏のままで何も見えてこないから、あまり面白くない。
 
エースが何人かいて、それをチームがどうサポートし、総合優勝できない選手がそれ以外のタイトルをどうねらうか、という面白さは、こういう混戦ではのぞめないのだろう。
混戦だったからか、最後にサストレが抜け出したのは、粒ぞろいをそろえたCSCというチームの力だろうか。
 
こうしてみると、これまで見てきた中で、最強は1991年~1995年5連覇したミゲル・インドゥライン(スペイン)。タイム・トライアル、長い登り、そしてチャンピオンになる前のデルガド(スペイン)への献身的なサポート、どれをとっても飛びぬけていて、しかもランス・アームストロングのように毎年このレースだけに絞ってというのではなかった。

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前田智徳の2000本安打

2007-09-02 17:38:20 | スポーツ
前田智徳が2000本安打を達成した。
 
怪我がなければ首位打者もとっただろうし、もっと早く2000本、といわれているのはそのとおりだし、落合、イチローが認める天才打者というのも、報じられているとおりである。
一番の魅力はジャストミートしたときの打球で、彼はホームランバッターではないといわれるが、打った途端にわかるホームランという打球では彼のが一番だ。
 
熊本工業高校を出て広島カープに入った多分2年目だったと思うが、オープン戦でそのとき驚異のスイッチヒッターとして輝いていた高橋慶彦の代わりに見慣れない前田がよく先発していた。そう、彼も最初は内野手であったし、足も速かった。
 
前田の性格からすればもちろん一つの通過点に過ぎないだろう。しかしとにかくよかった、いくらいい選手でも何か形がないとあとあと語られない。この打者がプロ野球の世界に鮮明な記憶を残すためにも、うれしいことであった。
 
おめでとう

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ツール・ド・フランス2007

2007-08-15 22:07:36 | スポーツ
ツール・ド・フランス2007(7月7日~29日)(NHK BS-1、8月12日)
 
ツール・ド・フランス、TVで総集編を見るのは3年ぶりだ。
ランス・アームストロング7連覇(新記録、2005年)、翌年のフロイド・ランディスは見ていない。
 
さて今年、もう名前を憶えている選手がほとんどいないのに気がつく。かすかに聞いた事のある名前で今回放送場面に登場したのはヴィノクロフ(カザフスタン)、ラスムッセン(デンマーク)くらいだが、なんとその2人ともレース途中で消えてしまうというとんでもない大会になってしまった。
前者はドーピングで、後者はもう総合優勝確実かといわれていた時に、実は過去にトレーニング場所を正確に報告していなかったことでチームから解雇されてしまった。
 
それでも最後はわずかの差で24歳のアルベルト・コンタドール(スペイン)がカデル・エヴァンス(オーストラリア)を23秒差で退けて勝つという盛り上がりもあった。コンタドールは山岳ステージで優勝しているから、単なる繰り上がりではないし、今後も期待できるだろう。
 
彼はディスカバリーチャンネルチームの2番手で、途中不調だったが最終的には優勝争いに食い込み首位から31秒差の3位になったエースのリーヴァイ・ライプハイマーをサポートする役目だった。
 
この展開で思いだすのは、90年代前半に5連覇した同じスペインのミゲール・インデュライン、エース ペドロ・デルガドを献身的にサポートして1988年に優勝させたが、このころもサポート役をやりながら上位に食い込み、いずれ彼がトップになるだろうと思わせた。
私が見る限り、この20年で一番強かったのはインデュラインだろう。アームストロングと比べても圧倒的だった。アームストロングはこのツール以外ほとんど出ておらず、サイクリストの成績としては色々言われているようでもある。
 
1986年にNHK-BSで見始め、その後しばらくして権利がフジテレビに移り、最低限総集編は放送されていたから、それは全部見てきた。2005年、2006年はCSの専門チャンネルになってしまい見なかったけれど、こうやって20年見てくると感慨深い。
 
1986年は、グレッグ・レモンが同じチームでフランスの英雄ベルナール・イノーに勝って確かアメリカ人初の優勝となったのだが、このころは東芝が有力チームのスポンサーになっていたし、その後世界トップの部品メーカーになった日本のシマノの名前が見えるようにもなってきた。
 
そして変らない魅力は、多少コースの変化はあっても、あのアルプスの、ピレネーの景色、何時間にもわたる超人的な登り(ヴァル・ディゼール、ヴィラルド・ランス、マドレーヌ峠、テュルマリー峠、、、)、くねくね道を降る自動車やバイクも追いつかない恐怖のダウンヒル(確か時速90km)、ひまわり畑の向こうを風を切って気持ちよさそうに走ったり、たくさんの虫の集団のように通っていくいく郊外のレース風景、3週間あまりの中には革命記念日もあるからその日はレースしながらラッパを吹いたりシャンペンで乾杯する選手達も、総合成績には関係ない凱旋だけのシャンゼリゼなどなど、、、
 
もう一つ、ずっと見てきて思うのは、この社会の縮図、人生の縮図のような世界である。個人同士、チーム同士、個人とその所属チーム、チームメイト、エースとサポート役、全てに表と裏がある。義理、人情、仁義、裏切り、格、、、
変な言い方だが、日本人にはわかりやすく面白い世界である。
それなのに見ていてスポーツとしての感動が減るわけではない。なぜなら、こんなに過酷で人間業とは思えないスポーツは他にないからだ。だから勝者は英雄、しかし英雄は一人だけでない、およそ100人もの選手が3週間のレースを完走しシャンゼリゼを誇らしげに走る姿は何回見てもいいものだ。

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