王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

「かくれ佛教」 鶴見俊輔 を 読む

2012-03-30 07:41:14 | 本を読む
「かくれ佛教」 鶴見俊輔著  ダイヤモンド社 を読みました。
2010年の作品ですから 鶴見氏がお元気なら90歳ですよ! 07年頃からの講演や口述テープから文章を起こしたとありますから編集者は大変なご苦労だったろうと思います。
鶴見氏は後藤新平氏(関東大震災時の東京市長)の外孫さんに当たるようです。

浜爺がこの書を知ったきっかけはこのブログのブックマークにある「成り行きアラカルト日記」氏が感想を書いておられたのですがその「かくれ佛教」のかくれなる言葉に惹かれた為でした。
かくれキリシタンのかくれに思いが誘発され「日本のどこかに佛教が禁止されたり弾圧された時代か地区でもあったのか?」なんですよ。

いやはや内容は国内外、宗教、哲学、政治 著名人との交流とその業績に対する論評など等に及びこう言う人を碩学と呼ぶのでしょう。
口述している頃が85-6歳ですから恐れ入るばかりです。

最後に「かくれ仏教徒」と題する1章があります。
鶴見氏は「キリスト教という一神教が対立を際立たせた。そうかといって佛教も戦前では僧侶が戦争完遂に参加し戦後は民主主義を鼓吹した」
国に迎合する佛教も良くない。そして世を捨てて民衆の救済を図る法然親鸞そして一遍の生き方に関心を示したように思えました。
宗教論では日蓮の話から創価学会の成り立ちが書かれていて大変勉強になりました。創価大学を作り著名人を生んでいる訳が分かりました。

さてかくれ佛教とはですが、どうやら無自覚的仏教徒を称えそうなりたいと欣求しているように読みました。
鶴見氏は内山節氏の一章を紹介し「田舎の葬式で神道で行うのだけど僧侶が読経し焼香は榊を捧げ柏手を打った。読経が続く中で誰も不思議に思うものが居ない。-----」
佛教と神道がこんがらがって輪郭がはっきりしないもの。ボケれば先に活路が有るとの見立てです。
書中で随所で最初は厳しく求道とか研鑽してだんだん融通無碍になってゆく先哲や学者を称えていました。
先だって亡くなった吉本隆明氏を褒めていました。
とても自分の読書性向では知る事のない本でした。
お暇な方は一読あれ!

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