王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

「街場のメディア論」を読む

2012-05-27 07:46:15 | 本を読む
恒文社新書 内田樹教授著「街場のメディア論」を読みました。
昨年知人が貸してくれたのですが大震災の後遺症で気持ちが落ち着かず読書は進まず「マスコミに評判の悪い内田樹」なんてウェブニュースの見出しなんかもあってこの本は積んどくままでした。
今年に入りようやく順番到来です。

この本の「街場」なる語ですが内田教授はご自分の言葉で説明されていますが浜爺の理解によれば「原子力村」と呼ばれる利益共同体がありと認めればその村に属さない側の意見と考えるのが良いようです。
そこで「街場のマスコミ論」がマスコミ受けしないのは内田先生の投げたボールを正しく受け取った証?でしょう。
村は他人の意見を受け入れないものです。

幾つか浜爺の心に残ったところ:
その1:ナチ政権下のカミュの活動を評価しています。レジスタンス活動の精神的支柱「コンパ」の書き手だったそうです。それは命がけに間違いありません。
その対極に「ガリレオが地球が回る」との主張を命が危ないとたちまち撤回した例をとらえ「その様な振る舞いは適切であった」と評しています。
内田先生は哲学的に思考を詰めています。「人生生きるに値するか否か」との問いかけに「否」の方はたわごとに過ぎないとの見解の厳しさには余りのの厳しさに打ちのめされてしまいます。先生は2チャンネルに見られる匿名の投稿を手厳しく論評していますが、それ程程度は低くなくても浜爺のこのブログなんて「止めなければ銃殺」何て言われたらすぐ止めます。ガリエオと同じですよ。
でも情報発信が内田先生の規定するほど厳しいものなのか浜爺には厳しすぎてしっくり来ません。

その2:上記の基盤の上にマスコミのウソと煽り、偏向と対立などは許しがたいものでしょう。
その3:病院でさえ「患者様」と受付で呼びかける世の中でマスコミもその他でも「市場原理にゆだね無い方が良いものが有る」
との指摘には納得です。
「社会的共通資本」と呼ぶ自然環境、社会的インフラストラクチャーと制度資本です。
加えて政治までがこれに加わると教育、年金、道路(有料)等が大混乱になるのは今回の政権交代で良く分かりました。
その4:その後「著作権」にでも言及しますがコピペは(読者の為)フリーが筋とのご主張です。
まあ以上を総合すればマスコミから悪評判を呼ぶのも理解できました。
語り口は穏やかですが内容は深刻です。
一読をお勧めします。

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