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王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

「すぐばれるようなやり方で変節してしまう人々」を読む

2009-06-14 00:09:25 | 本を読む
12日の午後から鳩山前総務相の辞任と麻生総理の決断について賛否両論がブログでも大いに盛り上がっている。
爺も昨日一文を書いたが「その裏と言うか真意はまだ判らない」と書いた。

今朝になると「今年の2月には麻生総理は鳩山総務相に西川氏に代わる日本郵政の社長候補者複数を書いたメモを渡して(交代を指示して)いた」
と嘘か本当か臆面も無く書かれているんだな。

もしそうだとすれば「麻生氏は日和った事になる」尤も「そもそも私は民営化には反対だった」と国会で発言した事があるから「最初から隠れ民営化反対」の輩だったら驚く事もないか?!

「郵政の民営化(いろいろな意味や局面があるが)を拙速で進めた(小泉グループ)面々が憎くてもその連中を追い落とすか失脚させる事で日本国民の金や物が見える形で戻ってくる筋書きを示さなければ総理の貫目に欠けよう」

何が何だか判らなくなった時には「曽野綾子さん」の辛口の本を読む事にしている。
今日は図書館に行ったら運良く「曽野綾子さんの棚に随筆集がならんでいた」
「昼寝するお化け」と副題の付いた第七週 P37ページ「変節」より:
前略-平然と変節する人を、私達は無節操と言う。今回は無節操だらけだったから、無節操について考えるチャンスを与えられたのである。自民に属しながら、郵政民営化に反対した人については、それがどれほどの裏切りになるのか、私は判断しにくいのだが、この明瞭な旗印を、党から貰うためにあっさりと引っ込めた人たちの変節ぶりは素人にわかりやすい。その中には元総理の娘さんや国際政治学者の女性候補もいた。--後略

「週間ポスト05年9月23日号」
自民党議員も国民も興奮して「郵政民営化」支持してからほぼ4年になる。

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山本一力 「道三掘りのさくら」を読む

2009-01-22 09:21:07 | 本を読む
暮れに角川の文庫本だと思いましたが「道三掘りのさくら」が山積みになっていたので新作かと思い図書館に予約しました。
なんと初出が2003年でその後角川書店から立派な単行本で05年暮れに発行されていました。
そこで05年版を難なく予約ゲット。
ご存知山本一力氏の作品はストーリーテラーと言いますか話の筋立ての面白さに引き込まれてどんどん読み進んでしまいます。

今回の作は江戸時代後期(1812年頃)江戸府内は用水による上水道が引かれていましたが大川(隅田川)から西の深川から先は埋立地で井戸水には塩気が混じるため住民は用水の余り水を「水売り」から買っていました。
大川からお城(江戸城)のお堀につながる道三掘りは見事な桜並木のなっていて春の花見時には江戸中から見物客が押し寄せる見事さです。
その堀にかかる「銭瓶橋」のたもとには(上)水道の余り水を吐き出す「吐き樋」がありその水を「水舟」汲み入れる客先に担ぎ売りするのが「水売り」の仕事なのです。
そんな「水売り商い」の元締めの一人「竜虎の虎吉」は元博徒。賭場の出方を20年も勤めた男。度胸も目利きも器量十分で7人の水売りを抱えている。その一人が働き者の「龍太郎」26歳である。
話は3話に分かれていて:
第一話がこの「竜虎の寅吉」が石川島の人足寄せ場への「水売り」が経費節約のため入札制に切り替わったのを機にこれまで「水売り」を独占していた「黒船屋三左衛門」に取って代わる。これを恨みに思う三左衛門のあの手この手の嫌がらせをかわし「水売りの組合である株仲間の総代」に収まる迄。
この間に水の安定供給と品質に拘る山本氏ならではの挿話が幾つも入る。
「黒船屋」の水売りも手先に収めた「寅吉」はあかね屋と屋号を改め商売に勤しむ。
水不足の対策に「大川の水を濾過し釜で煮立てて」当座の水不足を補う法を考え付いたようだ。
さて第二話は:
深川汐見橋のたもとの蕎麦屋「深川しのだ」の茂三の所に日本橋青物町の鰹節問屋遠州屋から「近々2町先(220メートル)に三軒続きの大きな蕎麦屋は始める」との挨拶が来る。

茂三の店は水を大量に使う「龍太郎」の大事な客先。娘「おあき」は18歳、「龍太郎」とは親も認める恋仲である。
もし遠州屋が蕎麦屋を始めれば元の三軒も「龍太郎」の客先なので今の量の2倍までは収めるのが決まりで「龍太郎」は茂三との板ばさみで辛い。

寅吉に思案を打ち明け調べてみると:
遠州屋吉兵衛は夫婦に子供が無く辰巳の芸者との間に出来た子供「団四郎」も21歳。 蕎麦屋になりたいとの母子の願いで蕎麦屋でもと思い立った模様。
一方吉兵衛も蕎麦屋のあれこれを調べてゆくうち「団四郎には200食もの蕎麦屋は無理」と判ってくる。
それはそれ「龍太郎とおあき」は遠州屋を迎え撃つ手はないかとたまの休みを使い大川界隈の蕎麦屋を食べ歩き「吾妻橋」際の「吾妻橋やぶそば」が抜群にうまい事がわかる。その訳は店主代吉の茂三に寄せる蕎麦うちの技に加えて「うまい井戸水」が隠れた秘訣の様です。
「龍太郎」は寅吉にうまい水作りを相談します。
虎吉のうまい水探しとうまい水作りに掛ける方法が面白く展開されます。
その間「遠州屋吉兵衛」は深川への蕎麦屋の出店をあきらめ「深川しのだ」に断りを入れに行きますがそこでの経緯が縁となり虎吉によるうまい水作り、吉兵衛による場所の提供(蕎麦屋予定地の跡)そして水作りの場の管理人としての息子団四郎の起用とが上手くまとまりました。
さて結びの第三話です。
大元同士の話は丸く収まりましたが「おさき」の気持ちが「龍太郎」から「団四郎」に移ったようで「龍太郎」は面白くありません。
いろいろ諌めてくれる人がいて女心が元に戻るまで辛抱強く待つように決めました。団四郎とも「水作り」と「水売り」としてすっきり仲良くやって行く事も確認できました。あおきと二人で歩いた「道三掘りのさくら」をあれから2年ぶりに来春には見られそうな気持ちです。
良かった良かった。

蛇足:
この話から「明快な説明」として落ちているのが「おいしい水作りです」
江戸で一番おいしい水:世田谷のとどろき村と三ノ輪の坂本村の湧き水
坂本村の水を使わない説明がありません。多分世田谷村と同じ理由なのでしょう。
年間で「豊水期」例えば梅雨とか嵐の時期には「用水の余り水」や「担ぎ売りの余り水」が使えるかもしれません。

「渇水期」には大川から汲むのでしょうかね? どうやって汲むのでしょう?
第一話で書かれた様に「漉してから一度沸かす」のでしょうか?
興味があります。
本編を読み解いたかその頃の事実を知っている方はコメント寄せてください。
待ってます。


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小杉健治「栄次郎江戸暦」を読む

2008-12-26 08:09:47 | 本を読む
小杉健治著、二見時代小説文庫発行「栄次郎江戸暦」1を読みました。
副題に浮世唄三味線侍とあります。
軽くて話の筋立ては明快です。暮れの帰省の際の時間つぶしに又新年TVに飽きたら気分転換にお勧めです。
頃は江戸の将軍家斉公の頃(恐らく1800年以降---話の進展と共にわかってくる)200石取の旗本矢内家は当主が3年前に亡くなり兄栄之助が家督を継いで大番組頭そして主人公の次男栄次郎はやっかい者更には兄嫁が昨年急逝しておりその再婚にも弟が差し障りという状態。母親は養子に出したいが栄次郎はのらりくらり。200石で親子3人と奉公人3人の暮らしが何とかなるのは何処からか援助の扶持があるようである。
さて栄次郎は24歳で田宮流居合術は20歳の頃には師範にも勝る腕前であった。
ところが栄次郎の望みは武芸の腕で侍となるよりゆくゆくは「三味線」の師匠として世を渡りたいという変ったものである。
いまでは師匠から「名取」を勧められる腕前である。ただし「名取」となると母親に内緒で三味線の稽古をしている事を明かさねばならない。

今日も稽古に通うのは鳥越の長唄師匠杵屋吉右衛門の稽古場。兄弟子の杵屋吉次郎はこれ又旗本の次男坊、弟子の一人新八は金持ちの三男とは表向きで実は腕の良い泥棒、火消し「ほ」組の頭取の娘おゆう。他には母に内緒で三味線の稽古場として部屋を貸してくれる矢内家の元奉公人お秋。 これらの人を常連として1巻に3-4章つつ小話が入り時間が進行して行き個人の事情が明らかになってゆく。
第一話は父親譲りのおせっかい焼きの栄次郎が元主家の主の非業のあだ討ちと金貸しを狙う小間物屋の親父を助けその一家も救うというお話。
この間三味線に纏わる豊後節だも常磐津節や新内節などの遠隔や薀蓄が語られる。
06年から毎年一冊既にシリーズ3迄出ています。
シリーズ2では何故200石取りなのに蔵差からの借金も無く矢内家が遣り繰りできるのか栄次郎に仕掛けられる刺客の罠の理由などがわかってきます。
一読あれ。
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「大江戸定年組7」を読む

2008-12-04 06:58:15 | 本を読む
久しぶりに「大江戸定年組」を読みました。もう巻きの7になっています。
巻きの1-4で紹介した様に55歳でそれぞれの役を引いた幼友達がいます。
元同心の藤村、元3千5百石の大身旗本夏木そして元小間物屋の当主七福の三人で大川(隅田川)の永代橋東詰に隠居所「初秋亭」を借り気ままに暮らしています。
今では「迷い猫探し、人探し、留守番など」一寸した頼まれ事を片付け(いささかは)世の役に立っています。

この三人の周りの話を短編でつなぎ話しを通す縦糸に深川でヤクザと目明しの二束の草鞋をはく「鮫蔵」が新興宗教「げむげむ教とそれに絡む殺人事件を追う話」が使われます。第6巻では「鮫蔵」が教組を追い詰める所まで行きましたが腹を刺され瀕死の重傷を負った上、記憶も喪失してしまいました。

第7巻も藤村は深川の鮫蔵の自宅に彼の身辺警護と介護を兼ねて出かけています。
夏木と七福は「よろず相談」を片付けています。
さて藤村の妻加代は亭主の行動に疑いを持ち夏木邸で夏木の妻志乃に匿われている内に「(殿方の気を引く)臭い袋」を考案、七福の後妻おちさの店で出したら好評なのを気に女三人商いに夢中です。最近も加代が「(女性が自分に使う)におい袋」を発売したら大評判。おちさの小間物に対する目利きと愛嬌、志乃の取引相手に対する貫禄が相まって今では七福堂の年間の売り上げを一月で稼ごうかとの勢いで「お針子追加で三人も雇い」、初秋亭の近くに家を借りて「早春工房」の看板を上げる勢いです。

さて話は戻って「鮫蔵」は藤村の介護の影で体力と気力を取り戻します。そこで記憶も取り戻しました。そうなれば「げむげむ教の教組」を逮捕するにはもう一息です。注意深く読めば巻きの6では教組の影に手が届くような表現がありました。
ここでもメタばれを避け名前を出しません。
三人と元気になった鮫蔵が揃って江戸に火付けをたくらむ「悪徳商人の逮捕」に大活躍する話で今回は終わりです。
鮫蔵は故郷八王子に父親の墓参りに出かけます。瀕死のみで寝ている間、鮫蔵が武士の子で父を嫌い殺して江戸に出てきた経緯があります。鮫蔵は深川に戻るでしょうか? 
三人は又平凡な隠居暮らしに戻ってゆきます。

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「少年王者」 雑感

2008-06-13 05:59:58 | 本を読む
尊敬するブロガー「花崗岩のつぶやき」の管理人tantanmen氏が:
「少年王者」「少年ケニア」の絵物語作家 山川惣治一文を書かれた

爺は「少年王者」の文字に魅せられて駄目もと(駄目でもともと)で市立図書館に予約してみました。今年の3月初版発行ですから早くて秋風の吹く頃に読めると思っていたのです。

ところが何と一週間でその本が手に入りました。
よく考えてみれば今時「山川惣治」の名を聞いて興奮する人は少ないのかも知れません。
それでも市の図書館にこの本(の購入)を申請した人は偉い!

さて少年王者ですが爺が思い出す(今風に言うキーワードは)のはマウントサタン、牧村真吾、メラ、すい子、アメンホテップそして魔人ウーラです。

細かい話は「山川惣治」を読んで頂くとして、山川惣治氏が戦前紙芝居作家であったとは驚きです。
戦前はともかく戦後爺が物心付いた頃、近所の盛り場は小川の床屋四兄弟が仕切っていて爺の様に「ただ見」つまり紙芝居の親父から飴を買わない(買えない)子供は遠ざけられていました。

かすかに思い出すのは「黄金バット」「透明人間」そして「笑う半骨魔」なんてのもありました。武士が熱病に罹り頭が割れるように痛い顔にもゲルゲルに包帯を巻いています。あまり辛いので包帯を解くと「顔の半分が解けて目玉まで流れ出てしまい骸骨になってしまうのです」
子供心には恐ろしくてその後しばらく一人でトイレに行けませんでしたよ。

さて「少年王者」ですが忘れずに思い出すのは冒頭に掲げた「少年王者真吾」が象の背中に乗っている表紙の本です。
小遣いを貯め、正月のお年玉を掻き集めてようよう「この巻きを買えるお金が出来て」元旦の朝早くから弘明寺の商店街入り口のある「弘明堂」という本屋の前で開店を待ったのを思い出します。
開店を待ちきれずに戸口をたたき親父さんから「正月は朝ゆっくりするもんだ」とか窘められたものでした。今も二代目が親父さんそっくりの体型と風貌になりがんばっています。

さてさて人間の記憶とはあいまいというかいい加減なものです。
「山川惣治」によれば爺の記憶にある巻きは昭和25年とあります。もう少し昔の気もしますがはっきりしません。

早速私立図書館の蔵書を検索すると「角川文庫」で全10巻のうち1巻を除きそろっているではありませんか。


この絵は第1巻の表紙です。
これは親に買ってもらったのでしょうね。
早速2と3巻を借りて見ると昔を思い出します。
しかし牧村夫妻が日本人の象牙商太田により「魔の谷」に追いやられた事等すっかり記憶から落ちていました。

それよりも恐ろしい事は「少年王者」が昭和58-9年頃角川文庫から文庫版として発行されておりもっと恐ろしい事は爺もサラリーマン稼ぎ頭の時代に出張の合間に買って読んでいた事をすっかり忘れていました。
思い返せば「子供の頃あんなに興奮したのにいささか興ざめを覚えるのです」
恐らく「ターザン」「ジャングルブック」の物語を読んだり映画を見たりして世間が広くなったのでしょうね。20数年前でも生きてゆくことが優先するとあの感激は記憶の下積みになるようです。

最後に真吾がどうなるか? 第9巻でアメンホッテプと魔人ウーラの正体が分かり
緑の石(マキムリン)を持ってキリンジニの空港からアメリカに凱旋帰国するのです。
そこで終わりでよい所、第10巻でターザンニューヨークに行く見たいな付録が付きました。好評に付き引っ張ったのでしょうか? 編集の都合上?剛勇ザンバロも故郷に帰る途中で話が終えていました。
面白ブックでは土人と表記してあった所が原住民に変わっていますから文庫版にする際、改変したようです。
それにしても久しぶりに50年から60年以上かも昔を思い出しました。
面白ブックは次の号が出るまでセリフのすべてを覚えるほど呼んだものでしたがね。
「少年ケニヤ」の方が記憶が確かですが興奮したのは「少年王者」との思いが深いのです。



コメント (2)
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