一人暮らしの母のところへ行って大掃除を手伝ってきました。中一の姪が泊まりに来ていて、姪と一緒にガラスふきや台所掃除をしました。姪はすすんで手伝いをよくしてくれ、大きな助けになります。
今日は姪を連れて我が家に帰ってきました。数日間わが娘となってくれることが嬉しいです。
クリスマスは過ぎてしまいましたが、書き残していたことがありました。ようやく今日書くことができます。
12月18日に教会で行われた家庭集会クリスマス会で、我が家の家庭集会に集っておられるY子さんが証しをして下さいました。Y子さんの証しを紹介させていただきます。
Y子さんの証しから
わたしが最初に家庭集会へ参加させていただいたのが12年前でした。家庭集会では多くの人との出逢いがあり、とても楽しく学ばせていただきました。
○年前に主人の両親と同居するようになってからは、なかなか教会へ堂々と来ることができなくなってしまいました。
主人の両親は宗教嫌いで、キリスト教の信仰はいまだに許してはもらえません。
しかし、わたしはこの家庭集会で文香さんの病気をきっかけに受洗に導かれました。
受洗を望んではいたものの、家族の反対を押し切ってまで受洗して揉めるのが怖かったこともあり、ずっと悩んでいました。しかし、そんなことをいっていたらいつまでも受洗できずに私のような中途半端な人間はいつか信仰さえも捨ててしまいそうで、そんな自分自身もいやでした。
そのころの環境からも抜け出したい思いや、わたしの罪や重荷をイエス様に救ってほしいという思いが絶頂に達した時期でもありました。
そして、ずっと祈って支えてくれた文香さんがもしもいなくなってしまったらという思いもあり、あせりました。今しかないと強く思い、2004年4月に受洗させていただきました。
こんな話をしたらしかられてしまいそうですが、12年間も家庭集会に参加して礼拝に出席できたのは1回だけです。こんな形で受洗させていただいたのは、わたしだけかもしれません。
しかし、こんな寛大なゆるしを受けられるのもめぐみ教会だからこそと感謝しています。
傲慢で自分勝手な性格は、クリスチャンになってもまだまだ直らずに、子どもにも「お母さんは偽クリスチャンだ」とか「偽善者だ」とか痛いところをつかれますが、本当のことです。
「だから、神様に赦してもらうために受洗したんだよ」と言うと、「何言ってんの? 意味不明」などと言われますが、いずれ夫にも娘にもわかってもらえる日がくると信じています。
この12年間、わたしだけの小さな信仰では何度もくじけそうになり、もうどうでもいいかな?と投げやりになったり、どうせだめだと落ち込んだりの繰り返しでした。
家庭集会に行ってみなさんと学びをしていると礼拝メッセージだけではわからない聖句のこまやかなところにも感動や驚きを覚え、それぞれの意見を聞くと、本当に聖霊の働きを感じずにはいられません。
そして各々の生活にあてはめて悩みや経験を打ち明けられるのも、家庭集会の良さです。
学びを終え、食事をいただき、くつろいだ雰囲気の中でああ、今日も参加できてよかったという思いでいっぱいになり、それが心の糧となり、次回の学びが楽しみになってきます。
同じ聖書箇所がでてきても、みなさんの理解が深くなっているのには驚きです。
自分は小さく弱い者で、決して受洗したからと言って何かが大きく変わるわけではありませんが、祈る喜び、平安、信じること、委ねることそしてすべてが感謝に変わることを少しずつ感じられるようになりました。
そして祈りあえる仲間がいる、その喜びをこれからも味わっていき、いつの日か我が家でも家庭集会が開けたらいいなあと思っています。
本当に家庭を開放してくださっている皆さん、ありがとうございます。
また、この家庭集会を通して救いにあずかる人が一人でも多くありますようにお祈りいたします。
家庭集会を開いて17年になりますが、家庭を開放するということは大変なことです。ときにはしんどいと思うこともありました。でも、Y子さんの証しを聞いて、その苦労がどこかへとんでいきました。家庭集会を続けてよかったなあとつくづく思いました。
それから、わたしの乳がんがきっかけでY子さんが受洗したことを思うと、主が病を用いて下さったのだと感謝せずにはいられません。
そして、文華さんと同じように、家庭集会の尊い役割を改めて感じました
もう一度,聞きたいなと思っていたので、アップしてくださって嬉しいです
文華さん、いつもお家を開放してくださってありがとうございます
とっても心が安らぎ、毎月楽しみにしてるんです
本当に、、、
今年もお世話になりました
家庭集会の役割って大きいのですね。わたしも改めて感じ、姿勢正されました。
Y子さんから原稿をお借りし、許可を得てほとんど原文のままを載せさせていただきました。
家族からは、結婚したらクリスチャンを止めるよう言われたと、話していましたが、一人息子さんのK君は数ヶ月前に私が話すまで、そのことは知らなかったそうです。
この秋に突然めぐみ教会を訪ねたら、牧師ご夫妻が歓待してくださったと、喜んで証をしてくれました。
K君は確実に成長しています。クリスマスにも若い仲間と協力して、よく働いてくれました。
我が教会は小さくて足りないことも多いですが、神様はちゃんと見守っていて下さっていると、こんなことからも感じ取れて感謝しています。
Yさんの証励みになりました。
私の両親もキリスト教嫌いで、「ゴスペルのサークルで歌うのは良いけど、キリストの信者には絶対ならないで」と言われてます。
いつ受洗してもいい心構えはあるんですけど、受けれないでいます。
どうやらうちの親は、キリスト教も、怪しい信仰宗教も一緒の扱いらしいです。
キリスト教は他の宗教とは違うということを声を大にして言いたいんですけどね
他の宗教の教えは人間が語った言葉です。仏、ブッタ、たしかに実在した人物かもしれません。厳しい修行で導かれた悟りかもしれません、けど、所詮人間が語った言葉。
キリスト教は違いますね。神様が語った言葉。これに勝る真実はないと思います。
I姉が召された後も息子さんを通して働いてくださる神様に感謝ですね。
キリスト教は、生きて働かれる神様、天地万物の創造者である神様を信じる宗教ですが、未信者の人方にはなかなか理解していただけないですね。
さわちんさんの日常生活の中でのあかしを通して、ご両親が理解を示してくださいますようにお祈りします。
主は人の心をも支配される方なので、今親が心頑なにしてるのは、私の信仰を整えさせる為の、主の御計画かもしれませんね。
今年ももう終わろうとしてますね。一年間、文香さんに伴ってくださり守ってくださった主に感謝します。
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(伝道者の書3:1)」ですね。