20日に教会学校のクリスマス会が行われ、小学生が劇、紙芝居、合奏、合唱、マジック、ドラマのグループに分かれて発表しました。
いままでは学年ごとに出し物を決めて発表していたのですが、今年は学年の枠をとりはらって、子どもたちの希望するものを準備し、発表することにしました。
各グループは、5週間かけて練習を重ねてきました。5週間といっても練習時間は日曜日の30分だけです。
とくに紙芝居は絵を仕上げてから読み合わせをしたので、ぎりぎりでした。
本番は2階の礼拝堂で行われ、たくさん(250人ぐらい)の父母や祖父母が見に来てくれました。新しい子どもたちも大勢来てくれました。
子どもたちは緊張していましたが、それぞれが賜物を生かし、得意な分野で発表したのでみんな生き生きしていました。
「幸福の王子」の紙芝居は1週間前のリハーサルのときはどうなることやらと思ったのですが、みんな心をこめて読み、すばらしくよくできました。涙を流している父兄もいました。子どもの力を信じてよかったです。
*顔がはっきり映っていないものがありましたので、写真アップしました。
昨日はクリスマス礼拝でした。
昨日のメッセージは『クリスマスのいのち』についてでした。一部を紹介させていただきます。
イエス様は家畜小屋という最も貧しいところで生まれました。それは偶然ではなく、生まれるべくして生まれたのです。
家畜小屋は、この世を表しています。貪欲にむさぼり食らい、あらゆる装飾をもっても隠せない汚くて醜いところですが、それはこの世のすがたです。
このようなところに無垢な救い主が誕生しました。このことこそがメッセージです。
普通では考えられないような危険な状況で生まれたいのちですが、そのいのちは、特別のものであり、永遠のいのちをもっていました。
イエス様は「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネ10:10)」と言っています。イエス様はわたしたちに永遠のいのちを与えるために来て下さったのです。人にいのちを分かち与えるため、ご自分のいのちを十字架上で注ぎ出して下さったのです。
永遠のいのちとは、神を知ることです。「神様」と祈るなら、その人は永遠の命を持っています。クリスマスに誕生したいのちを心の中に招き入れる人はだれでも永遠のいのちが与えられるのです。