9日は教会の喜楽希楽(きらきら)会のクリスマス会でした。喜楽希楽会は65歳以上の方の会です。毎月集まり、隔月に日帰り旅行をし、年に2回は一泊旅行をしているそうです。
数年前まで母は「そんな老人会みたいな集会には行かない」と言っていたのですが、今回誘うと「何を着て行こうかしら」と楽しみにしているようすでした。
クリスマス会は父の遺骨が納骨されているチャペル“ピスガ”で行われました。出席者は7名のスタッフの先生とボランティアの方入れて30名ほどでした。
S先生のメッセージは、とてもわかりやすく母は熱心に耳を傾けていました。
メッセージを紹介させていただきます。
人生で大切なことは「すい かん ゆ」ですが「すい かん ゆ」とは何のことかわかりますか? という質問にみんな「???」と首をかしげました。
「すい」は、「すいません」のすいです。テレビドラマ「だんだん」で一条のおじいさんが、忠さんにあやまった場面に感動しました。そのときはよかれと思ってやったことが、後によくない結果をもたらすことがあります。後悔の念にかられて「すいません」とあやまることは大切です。
聖書にはパウロ先生がテモテの手紙の中に「わたしは罪人のかしらです」と書いています。
「かん」は「感謝」のかんです。今、ここにいるということは、神の不思議、憐れみです。
人生の中でイエス・キリストを信じるようになったこと。罪赦されて、平安が与えられ、神様に生かされていると思えるようになったことが感謝です。神様を知ったことは絶大な価値のあることです。神様のすばらしさのゆえに感謝したいですね。
「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。(ピリピ3:8)」
「ゆ」は「ゆだねる」の「ゆ」です。一寸先は闇といいますが、明日何が起こるかわかりません。人間は無力で、限界があります。
若いころできたことも年をとるとできなくなってきます。でも、いっさいを神様にゆだねておまかせしましょう。
神様は善意の方であり、いたずらに苦しみ、悲しみを与えたりするような方ではありません。善意に満ちている神さまにゆだねましょう。
ピリピ3:20には「私たちの国籍は天にあります」と書かれています。行き先がわからないと不安ですが、行き先が天国と決まっているので安心ですね。
牧師先生の言葉に母は深くうなずいていました。
というのは、その前日、母が来た日に一寸先何が起きるかわからないということを実感したのです。
主人が出勤途中交通事故に遭ったのです。対向車が脇見運転で主人の車に接触し、主人の車は180度回転して止まったそうです。ぶつかってきた車の後ろを走っていた車は田んぼに落ちてしまいました。
主人はエヤーバックがふくらんだ衝撃で打撲。田んぼに落ちた車の運転者も怪我をして2人が救急車で運ばれました。車は壊れてしまいましたが、幸いなことに主人は異常なしで、痛みもなく無事家に戻ってきました。
わたしは事故の電話を受けて、一瞬パニックになりました。状況を聞いて、ぞっと寒気がしました。主人の車の後輪が路肩に乗り上げていたら、車が逆さになるところだったそうです。また、主人の車の後ろに車が走っていたら、正面衝突していたでしょう。
これだけ大きな事故で無傷だったのは、奇跡としかいえません。神様に守られたことを感謝しました。
事故のことを聞いて母もびっくりしていました。その後でメッセージを聞いたので、母の心にメッセージが届いたようでした。
お昼にはおいいしい食事をいただき、食後には紅茶とケーキをいただきながら歓談しました。楽しく和やかな時を過ごせて母も喜んでいました。
どんなことが起きるかわからない日常ですが、善意ある神様がいっさいのことを支配しておられるのですから、ゆだねていきたいと思いました。