生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

わたしの遺言(その3)

2008-05-29 13:12:07 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

遺言を書いてから5年近くたちました。当時娘は高校生、息子は大学生でしたが、今では娘はクリスチャンとして教会生活を送っており、息子は結婚して子供が与えられています。  主人は、少し心が変化しているように思います。というのは、当時はわたしの書いたものはいっさい読みませんし、キリスト教にも全く関心示さなかったのですが、最近はわたしの書いたものを読んでくれるようになりました。

「百万人の福音」に記事が掲載されたときは、義母に掲載ページに付箋を挟んで読むようにと言ってくれたのです。少し、キリスト教に関心を示すようになってきたのではないかと思っています。

遺言は、この機会に書き直します。息子の嫁と、まだ一歳ですが孫にもあてて書くつもりです。

本来のわたしは、ものすごく気が弱く、心配症、マイナス思考でくよくよ思い悩むたちです。もし、イエス様を信じていなかったら、うつ病になっていたでしょう。とっくに死んでいたかもしれません。
イエス様を信じたことによって、喜びに満ちた素晴らしい人生を送ることができています。そのことを書いて伝えたいです。


原稿はここまでですが、実際に話したことと多少違うと思います。当日は緊張していたので詳しい内容を覚えていないのです。

死について話すと、「縁起が悪い」と言う人がいます。まして早々と遺言を書いたと言ったら、不吉な予兆と思う人もいるかもしれません。でも、死はどんな人にも必ずやってきます。
クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会の前日、実家に泊まったので、練習がてら母に聴いてもらいました。かつて言ったように「縁起でもない」としかられるかと思ったら、「書いておくことは大切だね」と言ってくれました。母は聴きながら涙を流していました。

クリスチャンにとって、死は決して忌まわしいものでも恐ろしいものでもありません。天国に新しい住まいが用意されているのですから、死は天国に引越しをする日です。
死を意識した生き方と意識しない生き方は、全く違ってくるでしょう。意識することによって、ほどよい緊張感が与えられ、充実した生き方ができます。また、残された人を想って遺言を書くなどの備えができます。

JCP理事長のI先生は、「遺言を書き終われば、さあ今日は残された日々の最初の日となって新鮮!」とおっしゃいました。


                     おわり


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2 コメント

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Unknown (まこ)
2008-05-29 20:10:16
お母様が聞きながら涙を流しました
っていうところで、私もぐっと胸が詰まりました
お母様がそういってくださって
本当にうれしいですね
文香さんの思いが伝わったのですね
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まこさんへ (文香)
2008-05-29 22:29:45
母は最近涙もろくなっています。

そのあと、バレーボールの試合で日本が勝ったのを観て、感激して泣いていましたから。
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