生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

旧約聖書(その1)

2008-05-20 12:32:44 | 聖書から

聖書には新約と旧約があります。新しい訳と古い訳という意味ではありません。約は契約の約です。旧約聖書は天地創造から始まり、イスラエル民族の歴史とイスラエル民族を通して働かれた神の行為が書かれています。新しい契約の預言も書かれています。新約聖書の中心はイエスキリストです。

かつてわたしは、旧約は難しく、新約は読みやすいと感じていました。また、旧約聖書の神は裁きの神、厳しい神というイメージで、新約の神は愛と赦しの神というイメージがありました。

でも、旧約聖書の神と新約聖書の神は同じであり、新約聖書が旧約聖書と密接に関連していることを知りました。旧約聖書においても神様の熱烈な愛を読み取ることができます。また、イエス様が「~と聖書(旧約聖書のこと)に書かれている」と何度も言われているようにイエス様ご自身が旧約聖書の言葉を実に多く引用しています。

旧約聖書を読まなければ、新約聖書を理解することができないと知って、2年前からOBI(お茶の水聖書学院)で旧約聖書の勉強を始めました。(通って講義を聴くのではなく、DVDとネットでの学びです。リポート作成に四苦八苦しながらもなんとか続けています。)旧約聖書を学んで目が開かれたような思いになっています。


一昨日の礼拝でのメッセージでは、旧約聖書を読む時の心構えが語られました。
旧約聖書を読む時、学術的論文のように読んだり、天地創造を神話のようにとらえたりすると、つまずいてしまいます。
聖書は、たとえば父親によって「お前のお母さんは、お前のために毎朝お弁当を作ってくれたんだよ」と書かれた自分あての手紙と考えるとよいと聞いて、そうだなあと思いました。

枝葉末節につまずいて読むのをやめてしまったら、もったいないことです。わからないところは保留しておき(後でわかる日がくるので)、とにかく読むようにと勧められました。

 
わたし自身、旧約聖書を学んでいてもわからないところがたくさんあります。すべてを理解しようとして、自分なりに解釈してしまうと大きな過ちを犯すことになります。注意したいです。

旧約聖書にはイスラエル民族の赤裸々な歴史が書かれていますが、イスラエル民族を自分だと思って読んでいくと、神様がどれだけ自分のことを愛してくださっているかがわかります。

ホセア書を読んだとき、神様がホセアに姦淫の女ゴメルを妻とするように命じられたことが不可解でした。
ホセアが苦しみもだえながらゴメルを買い戻して受け入れるように、神様も背信の民イスラエルを痛みを持って受け入れることを示しているのだと知って、はっとしました。背信の民とは、まさにわたしではありませんか……。

洗礼を受けた後、神様に背を向けて歩んでしまったわたしを受け入れて下さった神様の愛を思ってジーンときました。



「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。(ホセア書14:4)」



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