旧約聖書は神様の視点から書かれています。神様が人間にどのようなことをなさったのか、何を期待されているのか、という神の側からの視点です。
旧約聖書がどのようなものとして記されたか3つのことを教えていただきました。
1、旧約聖書はユダヤ民族に対する神様の誠実さのあかしとして記されました。
神様は、ユダヤ民族の背信にもかかわらず、誠実に対応してくれました。
2、旧約聖書は神が約束したことを確かに成し遂げたという神の業の証言として記されました。
神様はユダヤ民族と契約を結んだのですが、自分勝手な道に進んでしまった民に 失望し、怒りを覚えながらもユダヤ民族の子孫から救い主を誕生させるという約 束を実行されました。
「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。(イザヤ54:10)」
3、聖書は人類への神様のラブレターとして記されました。
神様は人をねたむほど愛されたと聞きましたが、旧約聖書を読むと、そのことがだんだんよくわかってきます。
それは、神様が人間を造られたというところから始まっています。「進化論で は、神様が人間をそこまで愛する理由が見当たらない」と先輩クリスチャンが言われましたが、その通りだと思います。
神様はひとりひとりの人間を精魂こめて造られました。でも、最初の人間アダムとエバは罪を犯してしまいます。そのため、人は死ななければならない者となってしまいます。その後も人間は罪を犯し続け、神様に背いてしまいます。
神様と人の関係は断絶状態になってしまいますが、神様は和解を準備されます。
人類に罪の赦しと新しい命(永遠の命)を与えるという約束をしてくださったのです。新約聖書には、神のひとり子イエスによって、その約束が成就されたことが書かれています。
神様はご自分のひとり子の命を差し出してまで、わたしたちを救おうとされたのです。これほどすごい愛はありませんね。
「神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解の言葉を私たちにゆだねられたのです。(Ⅱコリント5:19)」
おわり