生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

競技するとき、休息するとき

2008-01-08 10:38:47 | 教会
6日の礼拝では、今年の年間聖句から元旦礼拝の要約と続きが語られました。


信仰生活は色々な競技にたとえられます。柔道、空手などの格闘技。サッカー、野球などのチームプレー。トライアスロンのような総合競技。長距離マラソン……。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだと知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。(Ⅰコリント9:24)

と聖書に書かれています。

“賞を受けるのはただひとり”という箇所ではなく、“賞を受けられるように走りなさい”という箇所に注目してください。『競技に参加していることを自覚していなさい』ということです。
ゴール(目標)は、もちろんイエス・キリストのような人格になることです。そのために自分をみがき、向上していけるようにと薦めがありました。


ここでメッセージが終わっていたら、負担を感じる人がいたでしょう。なすべきことを知っていてもそれができないときがあり、努力したいと願っても、疲れすぎて何もできないときがあります。
以下はそのような方たちのための配慮として語られたのでしょう。


先ほど紹介した聖句の中の“競技場で走る人たちは”という箇所は別訳では“競争に参加する場合は”となっています。

「場合は」ということは、信仰生活は競技だけではないという意味です。クリスチャンの多様性……色々な立場や状況を考えるべきです。同じひとりの人でも元気なときもあるし、疲れ果てているときもあります。

わたしたちは、罪人という霊的病人であり、罪赦された聖徒でもあります。キリストのように生きるという意味では兵士、競技者であり、競争することが全く必要のない神の家族でもあります。
休息を必要とする人は、休息することに専念してください。病気の人はあせらず安静にしていてください。ここ(教会)はホスピスです。


すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 (マタイ11:28)


と、競技していても休息していてもイエスさまが優しく語りかけて下さいます。


わたしは、この聖句が大好きです。疲れているとき、身体を横たえても休まらないことがあります。たくさん眠っても眠気がとれず、心が騒がしく平安のないことがあります。そんなとき、「やすませてあげます」と言って下さるイエスさまの懐にとびこみます。すると、魂が帰るところに帰ったという気持ちがして、心からの平安が訪れます。

これを読んで下さる方々のうえにも平安が訪れますように。シャローム。



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