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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

神さまのカリス

2006-01-12 11:49:02 | 
1月3日から10日にかけて「カリス」について書きましたが、それを詩にしてみました。誰か曲をつけて下さると嬉しいのですが……。


          神さまのカリス

神さまのカリス
シャワーのように
わたしの上に 注がれる
顔を上げて
口をあけて
両手を上げて
カリスを受ける
カリス カリス 神さまの恵み
 わたしは いま 喜んでいる

カリスのおかげで
わたしは生きる
当たり前では ないんだね
息ができる
食事できる
おしゃべりできる
賛美もできる
 カリス カリス 神さまの恵み
 わたしは いま 生かされている

神さまをうらみ
ひとをうらんで
生きてきたのに
イエスさまは
むちを打たれ
くぎをさされ
血を流された
わたしのために
 カリス カリス 神さまの恵み
 わたしは いま ゆるされている

神さまのカリス
雨のように
わたしの上に 降り注ぐ
心をつくし
思いをつくし
力をつくして
主を愛したい
 カリス カリス 神さまの恵み
 わたしは いま 愛されている


素晴らしい一日

2006-01-11 20:37:51 | 日記

歩いて15分ほどの図書館に行こうと思って出かけたら、あんまり夕日がきれいなので、足は桜川の土手に向かっていました。図書館は明日にしましょう。

教会の青年からmixiというソーシャルネットワークを紹介してもらったので、さっそく入りました。ブログの輪のようなものですが、紹介者がいないと見ることも参加することもできません。

なんだか未知の世界に足を踏み込んだようでワクワクしています。mixiには、以前めぐみ教会にいて就職や結婚のため他府県に引っ越した人たちが多く登録されていて、なつかしい人たちのブログを読ませていただいています。

みんな20代で、年はわたしと親子ほども離れていますが、中には教会学校で一緒に奉仕していた人もいて、つながりが出来たことが嬉しいです。ハンドルネームがわからないので、まだ見つけられない人がいます。わたしのことを知っている方がこのブログを読んで下さったら、連絡下さい。マイミクシーに加えさせていただきたいです。(といっても土筆文香は本名ではないので、わからないかもしれませんね)TMCsというのがあるそうですが、どうしたら見られるのかわかりません。

わたしは13歳から24歳まで神戸に住んでいて、24歳で結婚して関東に移りました。それなので、学生時代の友人はみんな関西です。
私が若い頃はもちろんブログもネットもありませんから、友達との連絡はもっぱら手紙。でも、おっくうになって連絡はとだえがちになりました。もちろん、忘れたりはしませんが、年賀状と暑中見舞いで近況を報告しあうという感じでした。
今の時代は、こうして遠く離れた人たちとブログでおしゃべりもできるのですから(チャットもあるし)恵まれていますね。

今日の祈祷会では「霊的成熟を求めて」という題で学びました。ヘンリー・ナーウェンの「いま、ここに生きる」という本の中から

「過ぎゆく一刻一刻を、新しいいのちの秘められた時として生きることができたら、一日一日を素晴らしい約束に満ちた日として生きることができたら……どうでしょうか」


という文章を読んで、そのように生きることは可能だと実感しています。
わたしは、かつてはだらだらと無駄な時間を過ごしていた者でした。でも、乳癌になって死を覚悟し、限られた時間を生かされているのだと気づいたとき、一日の中味が全く変わったものになりました。
「神様から与えられた時間をいっときでも無駄にしないように。みこころにかなったことのできる一日として下さい」と祈って一日を始めています。今日もキラキラした素晴らしい一日でした。



カリス(その6)

2006-01-10 12:43:55 | エッセイ

神さまから受けているカリス(恵み)を考えていると、次々出てきてきりがないほどです。今日は、いちばん大きいカリスについて書きます。

教会の若い人と話しをしていると、はっとさせられることがあります。心が純粋に神さまの方を向いているからです。クリスチャンホームで育ち、子供の頃から聖書の教えを聞いている彼らは、素直な心で神さまと向き合っています。

わたしは、イエスさまに出会う前、ひどくひねくれていました。体が弱かったのですが、まずそのことを恨んでいました。友達が皆勤賞をもらったりすると、その友達をねたみました。小児喘息だけでなく、扁桃腺肥大症もあり、よく熱を出しました。流行の病気はいちばんにかかりました。

幼稚園のときから小学校低学年まで遠足に行った記憶がありません。明日が遠足だと思うと嬉しくて熱を出していたからです。
遠足に行けないとき、Nちゃんのお母さんから電話がかかってきたことを母から聞きました。
「お大事にって。Nちゃんもがっかりしているって言っていたわ」
ひねくれているわたしは、
「きっとNちゃん、いい気味だって言ってるよ」
と答えたのを覚えています。
中学生のときは、「わたしが死んだら、みんな、せいせいしたって言って喜ぶよ」
と言って祖母にひどくしかられました。

 神さまの存在を知らなかったとはいえ、わたしの心はこんなにねじ曲がっていたのです。
 とても神さまに祈ることも向き合うこともできない者です。でも、イエスさまの十字架によって罪赦され、神さまのことを「天のお父様」と呼ぶことのできる者にしていただきました。これがいちばんのカリスです。


カリス(その5)

2006-01-09 13:34:56 | エッセイ

わたしは、このブログとリンクしている(ブックマークにあります)日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の管理人をさせてもらっています。JCPのHPは2004年11月に開設しました。
JCPのHPには会員の書いた作品を載せ、約1か月にいちど更新しています。どの作品を載せるのかは、理事のかたが決めて下さいます。
今回初めて自分のエッセイ「春の奇跡」を載せていただきました。昨年の1月にも「春の奇跡」を載せるように言われていたのですが、そのとき、わたしのHPに掲載していたので、JCPのHPに載せるのは見合わせました。すでに読まれた方もおられるかもしれませんが、他のかたのエッセイもありますのでぜひご覧下さい。


賛美するというのは讃美歌や聖歌を歌うことだと思っていました。でも、そうではないと教えていただきました。賛美とは神さまをほめたたえることです。歌をうたわなくても賛美することはできます。

わたしは教会学校でピアノ伴奏の奉仕をしていますが、楽器を演奏することでも賛美ができます。土浦めぐみ教会の教会学校では、有り難いことに現在小学科でピアノの奉仕者が6人もいます。交替で弾くので、1ヶ月半に1度の奉仕なので楽ですが、最初の頃は大変でした。8年くらい前、ピアノを弾く人が1人しかいなかったので、「わたしもさせていただきます」と言って練習を始めました。練習を始めて、引き受けたことを後悔しました。   

小学科で歌っている曲はほとんどハイテンポでリズムの新しい曲です。もともとリズム感の悪いわたしですので、リズムがわかりません。録音して何10回聞いてもわかりません。同じ曲を100回くらい練習してやっと弾けても、本番では恐れのために間違えてばかり……。やめようかと思っていたとき「子供たちが賛美しやすいように弾けばいい」と教えられました。

子供たちは、素直な心で神さまに向かって元気良く賛美しています。それに比べてわたしは……。
そのとき「上手に弾いて誰かに聞かせようとしているつもりなのか? だれに対して弾くのか?」という声が聞こえ、はっとしました。ピアノを弾くとき神さまに向かって賛美していなかったのです。下手でも、少しくらい間違えても賛美できればそれでいいのだと気づかされました。

賛美できること、これも神さまのカリス(恵み)です。


カリス(その4)

2006-01-07 16:57:58 | エッセイ

子供のころは無口だったと書いたら、友人がすごくびっくりしていました。「信じられない」というのです。それほどわたしはおしゃべりになってしまったのでしょうか?

教会学校では70人もの小学生の前でマイクなしでお話しているのですから、わたしが小学生のころ蚊のなく声より小さい声だといわれていたと言っても誰も信じてくれません。

小学3年生のときの作文ノートが残っています。ずいぶん物持ちがいいでしょう。子供の頃に書いた物で残っているのは、このノート一冊です。その中に「しりきれとんぼ」という題の作文がありました。

「国語の時間のことです。先生がわたしのことをさしました。わたしは、いっしょうけんめい答えたつもりだけど先生は『しりきれとんぼ。そのうちしゃべれなくなっちゃうよ』
とおっしゃいました。『しりきれとんぼ』って何かなあと思っておかあさんに話すと教えてくれました。(中略)わたしはおかあさんに『しりきれとんぼ』と言われてもぜんぜん心にひびかないで先生とかほかの人に言われると、すごくすごく悲しくなります。これからはもう少し大きい声ではっきりしたいと思います」

それに対して先生は、

「Yちゃんがこんなに思っているとは気がつきませんでした。自分ではいっしょうけんめい言っているつもりでもそうでない時があるものです。ゆうき(わかりますか? ゆうきということば)を出して腹から声を出してごらん。おうちでは大きい声だそうですね」


とコメントを書いて下さっています。内弁慶だったので家の中では大きな声でよくしゃべっていました。(先生は何故知っていたのでしょう?)でも、外に出るとしゃべれなくなり、しゃべっても小さい声しか出せなかったのは、自分に自信がなかったこと。自意識過剰だったことからきています。自分が何かしゃべると、人はどう思うだろうと気にしていたのです。

無口な人は何も感じてないと考える人がいます。人から何か言われても言い返さないのは、感じていないからなのだと。でも、そうではないんですね。むしろおしゃべりな人より感じているのです。口に出せない分、心にいつまでも残っています。
でも、わたしは「しりきれとんぼ」といわれて傷ついた昔の自分がいとおしく、またこんなふうに愛のあるコメントを下さった先生に感謝しています。先生のコメントが嬉しくて、どうしてもこのノートが捨てられなかったのだと思います。

しゃべらなくても、友達がしゃべっているのを聞いてけっこう自分も楽しんでいました。無口の人にしゃべりなさいと無理強いするのは禁物です。
なぜわたしがこんなにおしゃべりになったのかというと、心に鎧のように覆っていたものを脱ぎ捨てたからということと、非常に無口な人と結婚したからでしょう。(わたしがしゃべらないと家の中が暗くなってしまいますからね)

いまのわたしは、おしゃべりが楽しくて、気の合う友人となら何時間も話していたいと思うほどです。おしゃべりできることも神さまのカリス(恵み)ですね。


カリス(その3)

2006-01-06 12:24:17 | エッセイ

今日も寒いです。今日の土浦の予想最高気温は5度だそうです。日本海側は大雪でどれだけ大変なことでしょう。雪の被害が出ないようにお祈りします。

石油ファンヒーターをつけていますが、パソコンの置いてあるコーナーは、ストーブから離れていてちっとも暖かくありません。なんとか暖かくする方法はないかと考えて、扇風機を出して回してみました。そうしたらとても暖かくなりました。空気を動かすだけでこんなに違うのですね。

今日もカリス(恵み)について考えてみました。食事がおいしくとれることはなんという恵みでしょう。このお正月は両方の実家と妹の家でご馳走になり、体重が2㎏も増えてしまいました。最近なぜか(年齢のせいかホルモン剤のせいかわかりません……)体重が増える一方なので、ダイエットしなければなどと思っていますが、太る悩みがあるというのは感謝なことですよね。食べられるということですから。

昨日は喘息の発作のために食べられなくなったと書きましたが、あれから10日間入院して、入院中はほとんど食べられませんでした。呼吸が苦しいのと、生まれたばかりの赤ん坊を実家に置いてきたことへの気がかりと、3歳の長男(長男は主人の実家に預かってもらっていました)に会いたい思いで胸が張り裂けそうだったからです。

自分の言葉が友人を傷つけてしまったことがわかったときも食べられませんでした。具合が悪くなるから食べなくては……と思い無理矢理口に食べ物を入れても、飲み込めないのです。いま、深い悲しみや心配事があって食べられない人がいたら、どうかおいしく食べることができるように願います。

また、世界には飢えて死んでいく人たちが大勢います。食べたくても食べ物のないつらさは想像の域を超えています。食前の祈りで毎回「世界中の人たちに食べ物が与えられますように」と祈っています。

「人間はね、ちゃんと食べないと元気が出ないように造られているんだよ」と言った友人の言葉を思い出しました。



カリス(その2)

2006-01-05 17:00:03 | エッセイ

『カリス』(恵み)という言葉を聞いてから、わたしの中でずうっとこの言葉がこだましています。
当たり前のように呼吸をし、おいしく食事をいただき、おしゃべりをしていますが、病気で呼吸を確保することすら難しい人がおられることを思います。

わたしは長女(第2子)を出産後、産院を退院して10日後に、ひどい喘息の発作を起こしました。実家にいたので両親に心配かけたくないと思い、発作の起きていることを黙っていました。吸入薬で一時的に発作を抑えていたのです。

吸入薬は使いすぎると、だんだん効かなくなってきます。あとで聞くと、その吸入薬は、1日4回までが限度で、それ以上吸入すると死の危険があるという物でした。それをわたしは1日に数え切れないほどの回数使っていました。最後の方は、吸入しても一瞬苦しさから解放されるだけになってしまい、それでも耐えられなくて5分おきくらいに吸入していました。

食事に呼ばれてリビングに行くと、部屋からそこまで歩いただけで呼吸困難になってしまいました。おいしい食事が目の前に置いてあり「食べなさい」と言われているのに息が苦しくて食べることができません。真っ青な顔をして「どうやって食べたらいいんだろう……」と独り言のように言うわたしを見て、両親は大変な状態にあることに気づき、すぐに病院に連れていってくれました。(不思議なことに、ひどく苦しいのに自分では重篤な状態だとわからず、病院へ行こうとは思わなかったのです)

病院ではすぐ酸素吸入をしてくれましたが、いくら酸素があっても気管支がふさがりかけているので吸うことも吐くこともままならず、長い時間苦しみました。爪が紫色に変わっていたことを覚えています。

もしあのときすぐ病院へ連れていってもらわなければ、死んでいたでしょう。呼吸の苦しさは、経験した者でないとわからないと思いますが、乳癌の手術後の苦しさ、肺炎で高熱が出たときの苦しさとは比べものになりません。
「息ができる」ことは当たり前ではないんですね。守られて癒されていま、わたしはここにいます。

深呼吸しながら、呼吸ができることは、神さまのカリスなのだなあと感謝しました。

新年早々……

2006-01-04 22:02:28 | 日記

この写真は実家の近くの公園の駐車場で写したものです。公園の木には葉がなく、花壇にも花はありませんでしたが、こんなところに葡萄のような実がなっていました。神さまは冬にもこんな美しい物を備えて下さるのだなあと感動しました。

昨日は東京武蔵野のわたしの実家へ行き両親と妹一家で食事を共にしました。夜は世田谷に住む妹の家に泊まらせてもらいました。
出かける前に自宅を出たところでころんでしまいました。道が凍り付いていたのですべったのです。厚い靴下と手袋のおかげで擦り傷もできませんでしたが、手をついたので、じんじん痛みましたが電車の時間に間に合わなくなると思って、そのまま出かけました。

電車の中で手が紫色になり、指がむくみ、親指が動かないのでもしや骨が折れたのでは……。どうしよう、キーボードが打てない……。と冷汗が出ました。
電車に乗っている間ずうっとさすっていたら、むくみが消え、一晩湿布をしていたら痛みもなくなり指が動くようになりました。骨は大丈夫だったようです。守られたと思いました。本当に感謝です。

帰りは新宿も上野も人がいっぱいで、人に酔ってしまいました。(人混みは苦手です)ふらふらしながらようやく常磐線に乗ってほっと一息つきました。


カリス(その1)

2006-01-03 08:16:36 | エッセイ

昨年のクリスマスにアメリカからプレゼントが届きました。しゃれたデザインのノートです。各ページに聖書の言葉が英語で書かれています。礼拝メッセージや、聖書の学び、ディボーション(聖書を読んで祈る)のときに心に留まった聖句と感想を書くノートとして使わせていただこうと思っています。

最初のページには
「恵みと平安があなたがたの上にありますように(1コリント1:3)」

と書きました。これは、一昨日の礼拝メッセージで語られた聖句です。パウロの書いた手紙が聖書になっていますが、その手紙の最初にはたいていこの文章が書かれています。
恵みとはギリシャ語で「カリス」。上から下への流れを基本とした言葉だそうです。

「カリス、カリス……」と何度も口に出していると、シャワーのように降り注がれる恵みを感じて胸がいっぱいになりました。注がれた神さまからのカリスは、わたしの中であふれています。そのあふれたものを言葉にして(すべてを言葉にできませんが)今年も綴っていきたいと思います。


道を間違えたら……

2006-01-02 17:20:04 | 日記

昨日は、千葉県にある主人の実家へ家族で出かけました。弟、妹一家も来て、13人一同が集まりました。
久しぶりに会う甥や姪の成長に驚きました。考えてみると自分の子供たちも大きくなっているのですが……。子供たちが小さいころは、いとこどうしで大騒ぎして遊んでいましたが、みんな大きくなって、それぞれテレビゲームをしたり、プラモデルを作ったりして静かに過ごしていました。男の子たちはあまりおしゃべりしませんが、お互い赤ん坊の頃から知っているので特に話しをしなくても心が通じ合っているという感じがしました。

大人たち(女性陣)は、おしゃべりに花が咲き、男性陣は黙々と飲んでいました。一同がそろって集まるのはお正月だけです。楽しいひとときでした。

帰りにちょっとしたハプニングがありました。車の中で少し眠り、はっと目ざめると高速に乗るところで、東京方面と書いたプレートが目に入りました。「えっ、何で東京?」と言うと、「うわー、間違えた!」とあわてる息子。「Uターンして戻ればいいじゃない」と運転を知らないわたし。「遅いよ、戻れない」「次で降りるしかないよ」と主人。

土浦に帰るには、水戸方面に行かなくてはならないところを東京方面に進んでしまったのです。しかたないので流山インターで降り、引き返しました。
余分に高速代がかかってしまいましたが、無事に土浦に着いたのでほっとしました。

間違うはずのないところでうっかり間違えてしまいましたが、こういうことは人生においてもあるのでは……と思いました。まっすぐ歩いているつもりでも、いつの間にか曲がっていたり……。自分の思いが先行して、神さまのみ心からずれてしまったり……。

自分の間違えにはっと気づかされることがあります。新しい年、道を間違えることもあるでしょう。でも、間違えたらやり直せばいいんです。引き返すことはできなくても、向きを変えることはできます。大切なことは間違えないことでなく、間違えに気づくこと。そして気づいたら向きを変えること。いつも正しい道を神さまに祈り求めることの大切さを運転の間違えを通して教えられました。


私の前にあなたの道をまっすぐにしてください。(詩編5:8)

その人こそ『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道をあなたの前に備えさせよう』と書かれているその人です。(ルカ7:27)



新年おめでとうございます

2006-01-01 08:38:08 | 日記
新年明けましておめでとうございます。
今年も神さまから祝福された素晴らしい年でありますように。

少しゆっくり寝ていようと思ったのにいつもの習慣で朝6時に目覚めました。1時間ほどゆっくり聖書を読み、祈ることができて感謝しました。
神さま、今年はわたしにどんな課題を下さるのですか?と問いかけました。

これから元旦礼拝に行ってきます。帰ってきてから息子の運転で千葉県の主人の実家へ家族4人で向かいます。

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