先日たまたまテレビをつけたら、みのもんたさんの退院記者会見をやっていました。
「『無病息災』が大切なことだと今までテレビで言ってきたけれど、その言葉のしっぺ返しにあったようで……今回病気して『無病息災』が一番大切なことだとわかりました。」と涙ながらに話していました。
人間誰でも無病息災を願います。けれども、無病息災であれば幸せなのでしょうか? それなら、病気をかかえている人は幸せではないのでしょうか?
イエスさまが群衆に向かって話して下さった言葉があります。これは山上の垂訓と呼ばれるものですが、紹介したいと思います。
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
義に飢えかわいている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
(マタイ5:1-10)
最初にこれを読んだとき、疑問を感じました。心の貧しい人というと、心が狭くて相手の意見に聞く耳を持たない人という意味だと思ったからです。それになぜ悲しむ者が幸いなのかわかりませんでした。
心の貧しい人とは、自分の弱さを知っていつも神さまに頼る人のことで、悲しむ人とは、自分がした悪いことに気づいたり、自分の心が冷たいと感じて悲しむ人。世の中の苦しんでいる人を見て悲しむ人だと教えていただいたとき、嬉しくなりました。
イエスさまの言われる「幸い」とは、世間一般の人が考えているものと全然違ったものです。
自分の願い通りにならなくても、病気をかかえていても、お金持ちでなくても、幸せを感じることはできるのです。本当の幸せは、まわりの状況に左右されないものなのですね。