生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

カリス(その4)

2006-01-07 16:57:58 | エッセイ

子供のころは無口だったと書いたら、友人がすごくびっくりしていました。「信じられない」というのです。それほどわたしはおしゃべりになってしまったのでしょうか?

教会学校では70人もの小学生の前でマイクなしでお話しているのですから、わたしが小学生のころ蚊のなく声より小さい声だといわれていたと言っても誰も信じてくれません。

小学3年生のときの作文ノートが残っています。ずいぶん物持ちがいいでしょう。子供の頃に書いた物で残っているのは、このノート一冊です。その中に「しりきれとんぼ」という題の作文がありました。

「国語の時間のことです。先生がわたしのことをさしました。わたしは、いっしょうけんめい答えたつもりだけど先生は『しりきれとんぼ。そのうちしゃべれなくなっちゃうよ』
とおっしゃいました。『しりきれとんぼ』って何かなあと思っておかあさんに話すと教えてくれました。(中略)わたしはおかあさんに『しりきれとんぼ』と言われてもぜんぜん心にひびかないで先生とかほかの人に言われると、すごくすごく悲しくなります。これからはもう少し大きい声ではっきりしたいと思います」

それに対して先生は、

「Yちゃんがこんなに思っているとは気がつきませんでした。自分ではいっしょうけんめい言っているつもりでもそうでない時があるものです。ゆうき(わかりますか? ゆうきということば)を出して腹から声を出してごらん。おうちでは大きい声だそうですね」


とコメントを書いて下さっています。内弁慶だったので家の中では大きな声でよくしゃべっていました。(先生は何故知っていたのでしょう?)でも、外に出るとしゃべれなくなり、しゃべっても小さい声しか出せなかったのは、自分に自信がなかったこと。自意識過剰だったことからきています。自分が何かしゃべると、人はどう思うだろうと気にしていたのです。

無口な人は何も感じてないと考える人がいます。人から何か言われても言い返さないのは、感じていないからなのだと。でも、そうではないんですね。むしろおしゃべりな人より感じているのです。口に出せない分、心にいつまでも残っています。
でも、わたしは「しりきれとんぼ」といわれて傷ついた昔の自分がいとおしく、またこんなふうに愛のあるコメントを下さった先生に感謝しています。先生のコメントが嬉しくて、どうしてもこのノートが捨てられなかったのだと思います。

しゃべらなくても、友達がしゃべっているのを聞いてけっこう自分も楽しんでいました。無口の人にしゃべりなさいと無理強いするのは禁物です。
なぜわたしがこんなにおしゃべりになったのかというと、心に鎧のように覆っていたものを脱ぎ捨てたからということと、非常に無口な人と結婚したからでしょう。(わたしがしゃべらないと家の中が暗くなってしまいますからね)

いまのわたしは、おしゃべりが楽しくて、気の合う友人となら何時間も話していたいと思うほどです。おしゃべりできることも神さまのカリス(恵み)ですね。


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