生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

健康でなくても

2006-01-28 16:11:07 | 乳癌

子供の頃から身体の弱かったわたしは、丈夫になりたいと思い続けていました。非常に疲れやすい体質なので、とにかく人並みの体力が欲しい、喘息が完全に癒されたい、と強く願っていました。健康雑誌を買ってきては、ありとあらゆる民間療法をためし、健康法のテレビ番組があると録画してまで見ていました。お昼にやっている番組で「ブロッコリーを食べると元気になる」と聞くとさっそくブロッコリーを山のように買ってきて、次にキャベツがいいと聞けばキャベツを……という時期もありました。後にいくら体にいい食べ物でも同じ食品ばかりとり続けるのはよくないとわかってやめましたが……。健康食品を買い求めて試したこともありました。でも、あらゆることをしても効き目はありませんでした。

信仰生活を送るのも、まず健康でないと充分な奉仕ができないので、健康になることが第一なのだと思っていました。そして12年前スイミングを始め、10年間続けました。確かに水泳をしたら体力がつき、少しは効果が得られました。でも、喘息は治りませんでした。

感謝なことに喘息は予防薬を飲み、予防の吸入をすることによって、ほとんど発作が起こらないようになりました。でも、完全に癒されたわれではなく、未だに2か月に一度通院しています。

そして2年前、身体にいいと思われる物を食べ、健康には気を使っていたのにもかかわらず乳癌になってしまいました。食べ物や生活習慣においては癌になる要因は少なかったはずです。それなのに何故? とがっかりしました。

再発転移の恐れを抱いて苦しんでいたとき、
「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです(ヨハネ11:4)」
という聖書の箇所を読んで、はっとしました。 わたしの生きる目的は神様の栄光をあらわすためだったはずなのに、いつの間にかはきちがえてしまっていたのでは? 健康になることが第一の目的となり、すべての関心事は健康に向かっていました。身体が丈夫でなくても、病をかかえていても、そのままで神様の栄光をあらわすことはできる。たくさん奉仕ができなくても、自分にできることをやっていけばいいのだと気づきました。
そして、病気だからこそできる証もあるのだと気づいて、身体が弱いことを喜べるようになりました。

使徒パウロも持病があって、それを去らせて下さいと3度祈っています。でも、神さまは
「わたしの恵みは、あなたに充分である。というのはわたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである(Ⅱコリント12:9)
と言われ癒して下さいませんでした。

不信仰なわたしは、3度どころか何十回、何百回も癒しを祈り、健康を求め、神さまの答えに耳をふさいでいました。乳癌になってはじめて耳が開かれ、神さまの声が聞こえるようになっという感じです。


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