「神との関係が真っ直ぐな者の幸い」詩篇92篇1~15節
「正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。」(詩篇92篇12節)
上記のみ言葉を中心に詩篇92篇から御言葉をいただきます。
この詩は、安息日にれレビ人が神殿で歌ったものと言われています。
Ⅰ 正しい者とは
聖書が語る「正しい者」とは、倫理的に道徳的に正しいという以上のものであります。それは、神から離れた罪人なる人間が、主なる神の救いにあずかり、罪ゆるされ義とされた者になるということです。人間のもつ信念やイデオロギーの義というものは、時代や状況によってかわってしまします。しかし、神の義は変わらずに正しいのです。そして、神を信じる者を神は、神との関係をまっすぐにし、神の義に即する者としてくださったのです。この正しい者(義とされたキリスト者)は、主に感謝し主のみ名をほめたたえます(1)。朝毎に神をほめたたえ、夕毎に神に感謝をささげます。
Ⅱ 神の祝福を受ける正しい者
正しい者はなつめやしの木、レバノンの香柏にたとえられています。悪しき者は草にたとえられ、草は一時もえいでるかのように見えますが、一時的でその結末は滅びであります。しかし、足元に生える雑草とは比べ物にならないほど、なつめやしの木やレバノンの香柏は、まっすぐに高く育ち常緑の葉をもち、成長の早い良質なものなのです。これは、神の祝福を受けることをあらわしています。年老いてもなおも実を結び、いつも生気に満ち、青々として、主の正しいことを示します(14)。
主とのまっすぐな関係において、主からあふれるいのちをいただき今週も歩んでいきましょう。
2014/5/25 説教者 杉本守
「正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。」(詩篇92篇12節)
上記のみ言葉を中心に詩篇92篇から御言葉をいただきます。
この詩は、安息日にれレビ人が神殿で歌ったものと言われています。
Ⅰ 正しい者とは
聖書が語る「正しい者」とは、倫理的に道徳的に正しいという以上のものであります。それは、神から離れた罪人なる人間が、主なる神の救いにあずかり、罪ゆるされ義とされた者になるということです。人間のもつ信念やイデオロギーの義というものは、時代や状況によってかわってしまします。しかし、神の義は変わらずに正しいのです。そして、神を信じる者を神は、神との関係をまっすぐにし、神の義に即する者としてくださったのです。この正しい者(義とされたキリスト者)は、主に感謝し主のみ名をほめたたえます(1)。朝毎に神をほめたたえ、夕毎に神に感謝をささげます。
Ⅱ 神の祝福を受ける正しい者
正しい者はなつめやしの木、レバノンの香柏にたとえられています。悪しき者は草にたとえられ、草は一時もえいでるかのように見えますが、一時的でその結末は滅びであります。しかし、足元に生える雑草とは比べ物にならないほど、なつめやしの木やレバノンの香柏は、まっすぐに高く育ち常緑の葉をもち、成長の早い良質なものなのです。これは、神の祝福を受けることをあらわしています。年老いてもなおも実を結び、いつも生気に満ち、青々として、主の正しいことを示します(14)。
主とのまっすぐな関係において、主からあふれるいのちをいただき今週も歩んでいきましょう。
2014/5/25 説教者 杉本守