静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2012年09月09日 | 天のマナ

「主が備えてくださった方」    

 もし、「子育ての秘訣は何ですか?」と問われたら、米沢教会の田中牧師の「両親の愛情のこぼれで子供は育つ」という言葉を引用して私は答えるかと思います。夫婦はお互いの愛情を子供たちにいっぱいこぼすということです。子育ては、父と子、母と子の関係より先に、父母、夫婦の関係が重要であることはよく言われます。夫婦が愛し合い尊敬しあっていれば、父母から愛情がこぼれて子供は育つということのです。

 夫婦が愛し合うための秘訣は、「主なる神が世界の中から、私に一番ふさわしい最高の人を備えてくださった」というみ言葉による確信であります。最善をなされる主なる神が備えてくださったことが、相手への尊敬をうみ愛情を豊かにさせるのです。人間の理性感情意志は自己中心的で、自分に益をもたらさないと、その愛情さえ変化してしまい秘訣にはなりません。

 主なる神が備えてくださった方と結婚し夫婦となり家族を造った者たちを、神は、祝福されないはずがありませんので、伴侶への敬意をもって夫婦の愛情をこぼして行きましょう。

「自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。」(エペソ5章23節)

2012/9/9

 

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講壇の花

2012年09月09日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2012年09月02日 | 説教要約

「神であり人であるイエス」 マタイによる福音書22章41~44節

 主イエスとパリサイ人らの問答もここでひとまず終わる。この問答で主イエスは、パイサイ人たちのキリスト理解(救い主理解)が誤っていることを正そうとされた。

 彼らのキリスト理解は、一部の者たち(自分たち)の、一時代の、表面的な問題の解決者であった。それは、ローマの支配からの独立である。もしキリストがそれだけの者ならば、父なる神は、キリストを送る必要はなく、ダビデのような者を立てればよいのである。しかし、キリストを送ったのは、全人類に共通する根本的な問題である罪と死(永遠の死も含む)からの救いとしてであった。

 父なる神と人間の間に立ち、永遠の大祭司として、人間をとりなすためには、全くの神である方が全くの人となる必要があった。ダビデの子孫として生れることによりキリストは、全くの人(受肉)となり預言を成就された(ヘブル2:17~18,4:15~16)。キリストは罪は犯されなかったが、あらゆる点において人と同じ試練にあわれた。

 続いて主イエスは、「ダビデが、キリストを主と呼んだ」と詩篇110篇の引用をする。キリストは単なる人間としてのダビデの子孫ではなく、全くの神であることを示した。キリストは、ただ人の弱さを思いやるだけではなく、十字架で罪を滅ぼし、復活で死に勝利され、信じる者に永遠の救いを与える方なのである(ヘブル2:14~15、4:16)。キリストは、一時的な地上の王ではなく、永遠の神の国の王である。

 私たちが信じている主イエスこそ、このキリスト(救い主)である。

2012/9/2 説教者 杉本守

 

 

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天のマナ

2012年09月02日 | 天のマナ

 「すべての上に(above all)おられる方」      「万物をキリストの足の下に従わせ」(エペソ1:22)

 私たちの主なる神は、すべての上におられる主権者であり、教会の主権者であり、私たち一人一人の主権者であります。信仰告白とは、このことを告白するのであります。神から離れ自らを主権者だと思い込んで歩んでいた時(罪の歩みの時)は、「自分で生きている」と考えていましたが、主イエスに見出され、主イエスによって救われてから、「主権者なる神に生かされている」という考えと歩みに方向転換をさせていただきました。

 私は牧師ですが、教会の長ではありません。教会の長は主権者なる主イエス様です。私は我が家の家長ではありません。我が家の家長は、主イエス様です。私の人生は私が主役ではありません。私の人生の主役は主イエス様です。この信仰告白を礼拝であらわし、祈りであらわします。食前の祈りでも、主イエス様によって一日守られ、食を与えられ感謝することによって、子供たちは家長である主イエス様を仰ぎますし、主イエス様の前に頭を垂れ仕える父に敬意を払います。私たちの信じている神は、すべての主権者なのです(エペソ1:21)。

2012/9/2

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講壇の花

2012年09月02日 | 生花
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