静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年09月16日 | 説教要約

「み言葉を実行しなさい」 マタイによる福音書23章1~12節

 「先生、教師と呼ばれてはならない」と主イエスがおっしゃったことはどういうことでしょうか。

Ⅰ 神の御心から離れた者たち

 モーセの律法を朗読し解き明かす立場であった律法学者やパリサイ人たちは、モーセの座にありましたが、その言行は不一致でありました。主イエスは、弟子達や群集に、彼らが語る神の言葉である律法に対しては守りなさいと言われましたが、彼らの行いには倣うなと言われました。彼らは、先生と呼ばれることを好み、自らに対しての彼らの行動は、敬虔さをアピールした演出であり、人に対しては、律法にない言い伝えの規定を加え、人々に重荷を負わせ、共に歩もうともしないものだからでした。彼らは神の御心から離れ、神のさばきを受ける、「彼らはもっともきびしいさばきを受けるであろう」(マルコ12:40)とも記されています。

Ⅱ 神の御心に適った者

 「先生と呼ばれてはならない」と主イエス様は言われました。これは、教師という仕事につくことを禁じたり、「先生」という称号を用いることに反対したのではなく、上記したような律法学者のように、「先生」と呼ばれることを好み、自分は何か偉いもののように勘違いし、高慢にならないように警告し戒めているのであります。真の先生は、真の父は、真の教師は、主であることを心に明記し、いつもへりくだり仕える者であれと言われているのです。

 まさしく、主イエスは神のみ心に適った方でした。神の言葉を語り、それを行い、共に歩んでくださっている方です。私たちも、主イエスに倣って、み言葉を行う仕える者になりましょう。

2012/9/16 説教者 杉本守

 

 

 

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天のマナ

2012年09月16日 | 天のマナ

 「人間と動物の違い」    

 人間と動物の違いは何だろうか。多くあげることができるが、その一つは、神が人間に与えられた「永遠を思う思い」(伝道の書3:11)である。

 もう一つあげるなら、「人間は利害を超えた行動をすることができる」ことである。動物は自分が得になることしかしないし、自分の欲望に従って生きる。しかし、人間は違う。

 曽野綾子さんは、「ただ一人の個性を創るために」という本の中で、「人間になるためには、利害を離れて、人のために働くことのできる存在にならなければならない。損になることのできる人にならなければならない。それが人間の資格だからだ。そしてそれは、不思議な見返りを伴っている。人の役に立つということは、金銭的、時間的、労力的な面でだけ計算すれば、損をすることになるかもしれないが、精神的には、それを補って余りある充足感が残るのが普通である」と記している。

 本日のみ言葉に聴き入り、神に仕え人に仕える者でありたい。

2012/9/16

 

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講壇の花

2012年09月16日 | 生花
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