「み言葉を実行しなさい」 マタイによる福音書23章1~12節
「先生、教師と呼ばれてはならない」と主イエスがおっしゃったことはどういうことでしょうか。
Ⅰ 神の御心から離れた者たち
モーセの律法を朗読し解き明かす立場であった律法学者やパリサイ人たちは、モーセの座にありましたが、その言行は不一致でありました。主イエスは、弟子達や群集に、彼らが語る神の言葉である律法に対しては守りなさいと言われましたが、彼らの行いには倣うなと言われました。彼らは、先生と呼ばれることを好み、自らに対しての彼らの行動は、敬虔さをアピールした演出であり、人に対しては、律法にない言い伝えの規定を加え、人々に重荷を負わせ、共に歩もうともしないものだからでした。彼らは神の御心から離れ、神のさばきを受ける、「彼らはもっともきびしいさばきを受けるであろう」(マルコ12:40)とも記されています。
Ⅱ 神の御心に適った者
「先生と呼ばれてはならない」と主イエス様は言われました。これは、教師という仕事につくことを禁じたり、「先生」という称号を用いることに反対したのではなく、上記したような律法学者のように、「先生」と呼ばれることを好み、自分は何か偉いもののように勘違いし、高慢にならないように警告し戒めているのであります。真の先生は、真の父は、真の教師は、主であることを心に明記し、いつもへりくだり仕える者であれと言われているのです。
まさしく、主イエスは神のみ心に適った方でした。神の言葉を語り、それを行い、共に歩んでくださっている方です。私たちも、主イエスに倣って、み言葉を行う仕える者になりましょう。
2012/9/16 説教者 杉本守