「神の素晴らしさがあらわされる」
「どうして学校に行って勉強しなくてはいけないの?」と聞かれたら、どう答えるでしょうか?
ある方が、「学生の本分は学習・努力することです。社会に出るために、正しい判断力をつけるには、まず知識を蓄えることです。」と新聞に投稿したそうです。私は、「なるほど」と思いました。
さらに私は、先週も引用させてもらいました曽野綾子さんの「学校は知識を得ると共に、人生を知り、苦難に耐えて生き抜く心身を鍛え、その技術を覚え、多様な人々と共生する社会というものの雛形を体験するところなのである。」という文章を読み、「なるほど」と思いました。単に知識だけではなく、心身を鍛え共に生きることを経験する場であるということでしょう。
私は、上記の内容に、「主なる神が、あなたを通して神の素晴らしさをあらわすためである」と付け加えたいのであります。
「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」(第一コリント10章31節)。
2012/8/23