静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年09月02日 | 説教要約

「神であり人であるイエス」 マタイによる福音書22章41~44節

 主イエスとパリサイ人らの問答もここでひとまず終わる。この問答で主イエスは、パイサイ人たちのキリスト理解(救い主理解)が誤っていることを正そうとされた。

 彼らのキリスト理解は、一部の者たち(自分たち)の、一時代の、表面的な問題の解決者であった。それは、ローマの支配からの独立である。もしキリストがそれだけの者ならば、父なる神は、キリストを送る必要はなく、ダビデのような者を立てればよいのである。しかし、キリストを送ったのは、全人類に共通する根本的な問題である罪と死(永遠の死も含む)からの救いとしてであった。

 父なる神と人間の間に立ち、永遠の大祭司として、人間をとりなすためには、全くの神である方が全くの人となる必要があった。ダビデの子孫として生れることによりキリストは、全くの人(受肉)となり預言を成就された(ヘブル2:17~18,4:15~16)。キリストは罪は犯されなかったが、あらゆる点において人と同じ試練にあわれた。

 続いて主イエスは、「ダビデが、キリストを主と呼んだ」と詩篇110篇の引用をする。キリストは単なる人間としてのダビデの子孫ではなく、全くの神であることを示した。キリストは、ただ人の弱さを思いやるだけではなく、十字架で罪を滅ぼし、復活で死に勝利され、信じる者に永遠の救いを与える方なのである(ヘブル2:14~15、4:16)。キリストは、一時的な地上の王ではなく、永遠の神の国の王である。

 私たちが信じている主イエスこそ、このキリスト(救い主)である。

2012/9/2 説教者 杉本守

 

 

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