静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年12月04日 | 説教要約

「失われた人のための救い主」 ルカによる福音書19章1~9節

 主イエスは何のため、誰のためにこの世に来られたのでしょうか。次週と二回にわたって、主イエス自身の言葉に聞き入りましょう。

Ⅰ 失われていた者

 ザアカイ(義人、きよい人)と名づけられた彼が、なぜ取税人になったかは記されていませんが、神の前に真実や誠実にいきるよりも、財や地位という見えるものに心ひかれていったのでしょう。しかし、この世の物は、移り行くものであり、人間の魂・霊を満たすことはできません。彼は「失なわれていた」のです。彼は本来いるべき永遠の、そして人間の魂・霊を満たす神との交わりの場所から飛び出し、虚しさに滅びようとしていたのです。

Ⅱ 見い出された者

 しかし、イエスは彼が失われていることを知り、彼のためにエリコの町を訪ね彼を見い出すのです。彼の名を呼び彼の家の客となり、彼に神の愛を示すのです。主イエスにより彼は見い出され、神のもとに立ち返ることができたのです。彼の魂・霊が満たされたゆえに、彼は今まで執着していた財を貧しい人に施すことをいたします。神に立ち返ることにより、満たされた証拠であります。

 主イエスは、ザアカイを始め、神から離れ失われた者を見い出して、十字架により神のもとに立ち返らすために来られたのです。

2011・12・4 説教者 杉本守

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天のマナ

2011年12月04日 | 天のマナ

 「永遠に生きる幸い」

 「一度生まれた人間は二度死ぬ。二度生まれた人間は一度死ねば良い。」(D.L.ムーディー)

一度生まれるとは、母の胎内から生まれることであり、それは肉体の誕生であります。誰しも

経験しております。しかし、その誕生だけの人間は、一度目の死である肉体の死(体と霊の

分離)だけではなく、二度目の死(永遠の死、霊が永遠の滅びに入る)を経験します。つまり

二度死ぬということです。

 

けれども、二度生まれた人間(一度目は母の胎内からの肉体の誕生、二度目は主イエス

を救い主と信じ神に立ち返った霊の誕生)は、一度目の肉体の死だけで、二度目の死を迎

えないでよいのであります。それは、主イエスを救い主と信じ、罪赦され義と認められ、神の

子とされ永遠の命を受けているからであります。栄光の体の中に永遠の命をもって永遠の神の国に永遠に生きるのです。

 「御子(主イエス)を信じる者は一人も滅びないで永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)。

2011/12/4

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講壇の花

2011年12月04日 | 生花
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