「たとえ見えなくても」
「神がいるなら見せてみろ」と時々投げかけられます。神は霊なる方で肉体をもっていないので見せることはできませんが、神がなされている業(クリスマス、十字架、復活)を見て、神を知り、神の愛を体験することができるのです。一つの話をいたしましょう。
一人の青年が、お母さんがどんなに自分を愛してくれていたかを話をしていました。彼自身、お母さんと一度も会ったことがないし、直接話したこともないのにです。そして今もお母さんからの愛を感じ、その愛に生かされ、お母さんを尊敬しているというものでした。
彼がこの世に産み出される時、それは難産だったようです。その結果、子供は無事に生まれましたが、母親は天に召されたのです。彼は、お母さんの笑顔を見ることはできませんし、お母さんの声も聞けません。お母さんと遊ぶことも。しかし、命をかけて産んでくれた母の愛は、自らが生かされていることによって彼は十分に感じているのです。
2011/12/11