静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年12月11日 | 説教要約

「罪人のための救い主」 ルカによる福音書5章27~32節

 今週も主イエスが何のためのにこの世に来られたからを、主イエスご自身の言葉に聞き入っていきましょう。

Ⅰ 座っていた者から

 レビ(マタイ)は、神から大きな賜物をもらっていましたが、それを神のために用いずに、ローマの権力を傘にして自分の欲の達成のために使っていました。まさしく真の神から離れて自らを神とする的外れの生き方に座っていたということができます。そのレビをじっくりしっかり見つめられた主イエスの眼差しは、レビの魂をとらえたのでありました。

Ⅱ 立ち上がって従った者へ

 レビが受けた主イエスの眼差しは、真実といつくしみ、愛しレビを活かそうとする神の力にあふれていました。今までレビを見る人々のおびえる目、さばかれる目とは全く違っていたのです。彼はイエスの「従ってきなさい」との言葉に、その瞬間答えて立ち上がり従ったのです。レビの的外れの生涯が、神を信じ神に従う的を得た生涯へと変えられたのです。まさしく悔い改め、方向転換したのです。

 主イエスの眼差しを感じていますか?「従いなさい」という声が聞こえていますか?今、レビのように立ち上がって従いましょう。

2011・12・11 説教者 杉本守

 

 

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天のマナ

2011年12月11日 | 天のマナ

「たとえ見えなくても」  

「神がいるなら見せてみろ」と時々投げかけられます。神は霊なる方で肉体をもっていないので見せることはできませんが、神がなされている業(クリスマス、十字架、復活)を見て、神を知り、神の愛を体験することができるのです。一つの話をいたしましょう。

一人の青年が、お母さんがどんなに自分を愛してくれていたかを話をしていました。彼自身、お母さんと一度も会ったことがないし、直接話したこともないのにです。そして今もお母さんからの愛を感じ、その愛に生かされ、お母さんを尊敬しているというものでした。

 彼がこの世に産み出される時、それは難産だったようです。その結果、子供は無事に生まれましたが、母親は天に召されたのです。彼は、お母さんの笑顔を見ることはできませんし、お母さんの声も聞けません。お母さんと遊ぶことも。しかし、命をかけて産んでくれた母の愛は、自らが生かされていることによって彼は十分に感じているのです。

2011/12/11

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受付の花

2011年12月11日 | 生花
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