静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2009年11月08日 | 天のマナ
 「『知ること』という第一歩」 
 「わたしがあなたがたを愛したように」(ヨハネ15:12)

 仲良くなるためには、「その方がどんな方か、どんな歩みをしてきたのか」を知っていくを私達はします。私達静岡教区は、韓国聖潔教団ソウル第一教会と姉妹関係にあり、宣教協力をしていこうとしています。宣教協力をするためには、良き交わりをし仲良くなり、信頼関係を深めていく必要があります。そこで、今回の韓国ツアーを教区で組んだのでした。第二回目も企画されるように願っています。今回のツアーで、韓国と日本の歴史、韓国聖潔教団の歴史を少しですが見学させていただきました。ここでは韓国と日本の歴史を、次回は韓国聖潔教団と日本ホーリネス教団の歴史を少し記させていただきます。

 旅の二日目の午前私達は、ソウル市内の西大門刑務所跡へ行って来ました。そこは、日本が戦前に韓国を支配していた時代に、政治的な圧力により、韓国の方々を拷問し虐殺した場所でありました。どんなに日本人が韓国の方々を痛めていたか、その犯した罪に私達の心は締め付けられました。最初は、私がしたのではなく、日本人の当時の人達がした事と、自分とその事実に距離を置いた思いを持っていましたが、それは違うことを示されました。私の内にも同じことをしかねない罪があり、私もその当時のその場にいたら、同じ罪を犯していたのではないかと自覚させられたのでした。その後、訪問先の礼拝堂に入った時、その席で「私の罪をお赦し下さい。日本の罪をお赦しください」と祈りました。ここから新たな時代と関係が結ばれていくのです。

2009/11/8

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講壇の花

2009年11月08日 | 生花
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主日説教要約

2009年11月01日 | 説教要約
「主イエスの弟子としての歩み」 マタイによる福音書5章21~37節

 キリスト者の歩みは、律法による歩みではなく、主イエスの福音のよる歩みであります。言い換えますと、パリサイ人の義にまさる主イエスの義に生かされる歩みであります。

Ⅰ 表面的な行為の中に生きる人間
 「殺すな」「姦淫するな」「偽り誓うな」とは、律法である十戒の一部と律法について説かれたものであります。パリサイ人らは、これらを守っていましたが、表面的で形式的なものになっていました。表面的には守ることによって、律法を守っていると主張し、律法の基本的精神である内面的なものには目を瞑り逃げ道を作っていました。
 内面的なものとは、「殺意をいだく怒り」「みだらな思い(情欲)で異性をみること」「誓いを守れない思い」であります。内面的な葛藤を持ちながら、思考においては自らを吟味せず、さまざまな言いがかりにおいて逃げていたのです。

Ⅱ内面的な解決を与える主イエス
 主イエスは、その内面においても、神の光を投じ、「和解」「罪に対しての厳格に向きあい、離れ、きよくされること」「約束への誠実」を語られたのでありました。行為においてだけではなく、内面においても義とされることが、パリサイ人の義にまさるキリスト者の義なのであります。
 このキリスト者の義は、自らの努力ではなく、律法を完全に成就された主イエスに身を置き、キリストの義をいただくことによって、得られるのであります。

2009/11/1 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年11月01日 | 天のマナ
「Action!(行動)」
  
 韓国ツアーのためにお祈りくださりありがとうございました。6人共に元気で過ごし、主の豊かな恵みをいただきました。順次、その恵みをお分かちしたいと願っています。

 私が頂いた恵みの一つが、「Action(行動)」です。韓国ソウルの街は非常に活気溢れた街で、人はもちろん空気までも動いているように感じ、向上を目指したそのエネルギーに圧倒されました。次の言葉が的を得てるかどうかはわかりませんが、「韓国は行動しつつ考える。日本は考えてから行動する。」との言葉を思い出しました。

 どちらが良いとか悪いとかと言うのではなく、いつの間にか私自身、「考えて行動する」から、「あーだ、こーだ」とゴタゴタと考えて、そして考えるだけで終わってしまっているのではないかと問われたのです。「あーだ、こーだ」とゴタゴタと考えてやらないで縮こまっているよりか、行動して、指摘され修正していく者に変えられたいと祈ってきました。「主のお心がなりますように」と祈りつつ行動を起こしていきたいのです。

「出て来なさい」(ヨハネ11:43)。
 
 自分の枠から共に出て行こうではありませんか。

2009/11/01
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講壇の花

2009年11月01日 | 生花
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