静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2009年01月11日 | 説教要約
「主イエスを信じなさい」使徒行伝16章16~34節

 ピリピで宣教をしていたパウロらは、迫害によって牢獄に入れられてしまったのです。この記事から、御言をいただきます。

Ⅰ 状況を支配する信仰
 聖霊の導きによってピリピの街に来たパウロ達は、福音宣教によるリバイバルを願っていたことでしょう。しかし、ルデアの家族は救われましたが、占いの霊に疲れた女奴隷から、悪霊を追い出したことにより、迫害を受けて、鞭打たれ、足かせをはめられ、牢獄の奥に入れられてしまいました。
 激痛と落胆で意気消沈し、不平不満や愚痴が出ても仕方がない状況ですが、彼らの口から出たのは、祈りと賛美でした。状況に支配されてしまう信仰ではなしに、状況を支配していく信仰を彼らはもっていました。神をほめたたえ、すべての人が救われるようにとの祈りでありました。多くの囚人達は、彼らの賛美と祈りに聞き入り、牢獄が神の恵みの御業の場となったのであります。

Ⅱ 主イエスを信じる信仰
 なぜ、彼らはそのような信仰を持っていたのでしょうか。それは、主イエスを救い主、どんな状況からも救い出す方と信じていたからであります。
 神は、彼らの信仰に応え、地震を起こします。獄の戸が開き囚人が逃げてしまったと考えた獄吏は自害しようとします。しかし、神の御業の前に囚人は恐れを持ち、誰一人逃げず残っていました。パウロは、獄吏の自害を留め、あなたが救われるのは、「救い主を信じなさい」と獄吏に伝えました。獄吏と獄吏の家族は、主イエスを救い主と信じ、喜びで満たされました。

 私達は、どんな時でも主イエスを信じ、状況を支配する信仰を持たせていただきましょう。そして、「主イエスを信じる者の家族も救われる」という御言の真実を体験させていただきましょう。

2009/1/11 説教者 杉本守

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2009年01月11日 | 天のマナ
「自らを顧みる」

 先日、我が町の少年院に情操教育の講話に行きました。彼らは、食い入るように講話を、聖書のメッセージを聴いて受け止めていました。彼らは、かつては自分を見失い、誤りをしてしまって、今は少年院にいますが、指導員の保護と愛の許、自らを顧み、省みる時を持っています。そして、新たな人生をもう一度歩もうと生きることに真剣です。そういう者に、神はセカンドチャンス&セカンドライフを与えてくださいます

 人生の中で、自分を静かに顧み、省みる時を持つことは、本当に必要な時です。そうしないと時代や風潮に流されて、自らを見失うからです。

 私達クリスチャンは、自らを顧みさせていただいている者として、本当に幸せです。毎週、礼拝にて神の前に静まり、聖書の言葉によって自らが照らされ、悔い改め、信仰告白をし、神からの新しい命の注入をいただけている者だからです。礼拝は、クリスチャンに限らず、すべての人に与えられている自分を顧み、神と出会う機会です。一人でも多くの人と、教会の礼拝で共に心を静めたいのです。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46篇10節)

2009/1/11
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受付の花

2009年01月11日 | 生花


掲載者:岩崎

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする