静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2008年10月05日 | 説教要約
「永遠の命にあずかる者」 使徒行伝13章44~52節

 聖霊は、アンテオケ教会を通して、バルナバとパウロを聖別し、第一回伝道旅行に遣わしました。彼らは、ビシデヤのアンテオケで福音を伝えました。

Ⅰ 永遠の命を拒んだ者達
 彼らは、ユダヤ人の会堂に入り、律法と預言者の書が読まれた後に、パウロは説教をいたしました。会堂には、ユダヤ人、神を敬う異邦人がいました。パウロの説教の内容は、「イスラエルの歴史を通し、イエスこそ預言された救い主であり、イエスは十字架と復活によって救いをなし、ユダヤ人だけではなく異邦人にも信じる者を救いなされる」というものでした。
 説教を聴いた者達の反応は二つでありました。一方の人達は、その内容を受け止め、もう一度同じ話を聞きたいと願い、家族や友人達も誘ってきました。しかし、もう一方の人達(ユダヤ人の一部)は、イエスを救い主であるという事と、律法も割礼をしないで信じるだけで救われるという事を受け入れず、パウロ達を迫害し追い出しました。彼らは、神の救いを拒んだので、永遠の命を自分から遠ざけたのです。

Ⅱ 永遠の命にあずかった者達
 しかし、異邦人達は、神の救いを喜んで受け、主をほめたたえ、信じたのでありました。福音を受け入れた時、その人は永遠の命に定められることとなり、信じて永遠の命にあずかるのです。
 永遠の命とは、再臨時に朽ちる私達の肉体が栄化され、永遠の神の国に相応しい、永遠の体をいただくことであると同時に、再臨の時だけではなく、信じた時から永遠の命を、この世ですでにいただくものであります。それは、父なる神とイエスを知ることであり(ヨハネ17:3)、つまり、神との命の交わり、永遠の神の命が注がれ、それに満たされるということであります。

 私達は、神を信じ受け入れ救われています。永遠の命をすでに受けています。その永遠の命をどれくらい、体験しているでしょうか。神との生きた豊かな交わりに生かされましょう。

2008/10/5 説教者 杉本守
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天のマナ

2008年10月05日 | 天のマナ
「敬意を持って」
      
 先日あるニュース番組のスポーツコーナーで、巨人のラミレス選手の特集が放映されているのを見ました。だいたいではありますが、次のようなものでした。
 
 彼は、巨人に入って半年、言葉もよくは通じない、けれども持ち前の陽気さと陰での研究熱心さによる理論によって、巨人をまとめ、巨人の快進撃の大きな要因となっている。入団半年で、日本語の言葉も十分でない彼がまとめ役に。それは、彼が小さい頃、野球チームのコーチからのある言葉が彼をそのような器に育てた。  
 「相手に敬意をはらいなさい。そうしたら、自分も敬意を受ける」


「敬意をはらう」が今も私の心に響いています。神が造られた人間のお互いの存在は尊いものであり、また、神が与えたその人だけの使命を全うするための宝、輝きがあるのです。だから、敬意をもって、家族にも、兄弟姉妹にも、職場や学校の人にも、地域の人にも接しようではありませんか。

「あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。」
                            (マタイ7章2節)

2008/10/5
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講壇の花

2008年10月05日 | 生花

 掲載者:岩崎

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