静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年09月09日 | 説教要約
「神の恵みからもれない」マルコによる福音書9章38~50節

 主イエスは、弟子達を育てます。福音宣教をする時に、それに対して人々は様々な反応を示します。その時に弟子達の対応を教えたのです。

Ⅰ 主イエスに祝される者
 「私達に反対をしない者は、私達の味方です」と主イエスは、弟子達に言いました。「狭い考えを持たず、主イエスのためなら直接的な働きも間接的な働きをも、受け入れていきなさい」ということです。たとえ未信者であっても福音の為に、主イエスの僕達のためになされる小さな事(水一杯)でも、神はその事々を覚え、その人を祝福されるのです。ましてや、神を信じている私達は、主に仕えている僕なるお互いを尊びたいのです。それが主に喜ばれることです。

Ⅱ 主イエスに裁かれる者
 「私を信じるこれらの小さき者(主の僕)」を躓かせる者は、神の厳しい裁きにあい、火が尽きず、うじが溢れる地獄に投げ入れられるのです。神は、罪に対して、主を恐れないことに対して、厳粛な裁きをするのです。

Ⅲ 主イエスに祝福される者になる
 主イエスに祝福される者になるためにはどうしたらよいのでしょうか。「あなたがた自身の内に塩を持ちなさい」と主イエスは言われました。「塩」とは、「きよめ」です。「火で塩づけられる」とは、「火」は聖霊をあらわしていますので、聖霊によって、「きよめ」の体験をし、「きよめられ続ける」ことが不可欠ということです。

 主イエスに祝福される者として、ますます主を信じ、きよめの恵みにいきたいのです。

2007年9月9日 説教者 杉本守
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講壇の花

2007年09月09日 | 生花

今日は礼拝後に葬儀がありました

わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。
                      ヨハネ11:25

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主日礼拝説教要約

2007年09月02日 | 説教要約
「仕えられた救い主」 マルコによる福音書9章33~37節

 主イエスは、人を罪と死から救うために、十字架と復活の道へ進みます。そして、その救い主としての使命を終えることと、この福音を託す弟子達への教育と訓練も同時に始めるのです。

Ⅰ 仕えさせる世の人々
 弟子たちは、主イエスを「この地上での王国を造る政治的救い主」と強く受け取っていました。ですから「その時が来たら、自分はどの位に座せるのか、誰が一番偉いのか」と議論し出したのでありました。それを知った主イエスは、「この世の社会では、支配者や権力者は、民の上に権力を振るっている」と言いました。
 現代もそうです。国民に仕えるという働きのもとに、権限をいただいている職にある人が、いつの間にかそのことを忘れ、自らの栄誉や利益のためにその権限を行使する状況になっています。彼らだけではありません。私達も上に立つ者は常に気をつける必要があります。

Ⅱ 仕えるキリスト者 
 主イエスは、弟子たちに「偉くなりたいと思う人は仕える人になり、頭になりたい人は、すべての人の僕となれ」と言われました。主イエスは、弟子を愛し、弟子の足を洗い、仕えることの模範を常に示してくださいました。その究極が十字架です。主イエスは、私達を罪と死の支配から救うために、十字架まで仕えてくださったのです。
 具体的な仕える行為とは、私達が、主イエスの名のゆえに、幼子(弱い者)を受け入れ、小さな務めにも謙遜な心で熱心に励むことなのです。

 主イエスが、まず私達に仕えてくださった愛を頂き、私達も互いに仕えて行こうではありませんか。

2007/9/2  説教者 杉本守
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教会員へのお知らせ

2007年09月02日 | お知らせ
9月2日の第3礼拝にて行われた、Y兄の救いに至る証しを、本人の承諾を受けて教会員専用掲示板に掲載しました。もう一度文章で読んで、励ましの言葉などを投稿していただけたら幸いです。

※教会員専用掲示板は、このブログの左側にある【ブックマーク】から入れます。パスワードを取得している方だけが閲覧・投稿できます。

SYSOP
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講壇の花

2007年09月02日 | 生花

担当 S・H姉 
                                          投稿 S・I

コメント (2)
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9月2日 天のマナ

2007年09月02日 | 天のマナ
「父なる神の前で賜物を磨く」

 「うまいねー」「やるねー」「いいじゃない」「賜物だねー」という声が交錯する。

 「広く浅く」という言葉が自他共に私の代名詞、なんでもある程度はこなすと自分でも思っていますが、けれどもどうしても苦手なことがいくつかあります。ほどほどに練習をしますが、少しも身に付かないのです。それは、「英語(英会話)」、「ピアノ」、そして「絵」です。クラリネットは身に付いていると誤解してますが(笑)

 上記の場面は、次女が夏休みの宿題の合間(?)にイラストを描いて家族に見せてくれた時のものであります。次女に与えられたセンス、感覚、賜物には、私にないものでただ驚くばかりです。次女だけではありません。長女も三女もそれぞれ賜物があるのです。
 
 いや、この世界に命を与えられた私達一人一人に、神様からのそれぞれ異なる賜物が命と共に与えられているのです。まずは、その賜物を見出すこと、見出させてあげること、そして認めること認めてあげること、そして磨くこと、磨けるように環境を整え、ほめ励ましてあげることです。

 次女には、「イラスト集を出すか」との親バカぶりです。父なる神様は、私達をきっとこのような同じ思いで見てくださっていると、私は心をはせます。
 
 「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互いのために役立てるべきである」(Ⅱペテロ4:10)
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