静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年09月02日 | 説教要約
「仕えられた救い主」 マルコによる福音書9章33~37節

 主イエスは、人を罪と死から救うために、十字架と復活の道へ進みます。そして、その救い主としての使命を終えることと、この福音を託す弟子達への教育と訓練も同時に始めるのです。

Ⅰ 仕えさせる世の人々
 弟子たちは、主イエスを「この地上での王国を造る政治的救い主」と強く受け取っていました。ですから「その時が来たら、自分はどの位に座せるのか、誰が一番偉いのか」と議論し出したのでありました。それを知った主イエスは、「この世の社会では、支配者や権力者は、民の上に権力を振るっている」と言いました。
 現代もそうです。国民に仕えるという働きのもとに、権限をいただいている職にある人が、いつの間にかそのことを忘れ、自らの栄誉や利益のためにその権限を行使する状況になっています。彼らだけではありません。私達も上に立つ者は常に気をつける必要があります。

Ⅱ 仕えるキリスト者 
 主イエスは、弟子たちに「偉くなりたいと思う人は仕える人になり、頭になりたい人は、すべての人の僕となれ」と言われました。主イエスは、弟子を愛し、弟子の足を洗い、仕えることの模範を常に示してくださいました。その究極が十字架です。主イエスは、私達を罪と死の支配から救うために、十字架まで仕えてくださったのです。
 具体的な仕える行為とは、私達が、主イエスの名のゆえに、幼子(弱い者)を受け入れ、小さな務めにも謙遜な心で熱心に励むことなのです。

 主イエスが、まず私達に仕えてくださった愛を頂き、私達も互いに仕えて行こうではありませんか。

2007/9/2  説教者 杉本守
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教会員へのお知らせ

2007年09月02日 | お知らせ
9月2日の第3礼拝にて行われた、Y兄の救いに至る証しを、本人の承諾を受けて教会員専用掲示板に掲載しました。もう一度文章で読んで、励ましの言葉などを投稿していただけたら幸いです。

※教会員専用掲示板は、このブログの左側にある【ブックマーク】から入れます。パスワードを取得している方だけが閲覧・投稿できます。

SYSOP
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講壇の花

2007年09月02日 | 生花

担当 S・H姉 
                                          投稿 S・I

コメント (2)
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9月2日 天のマナ

2007年09月02日 | 天のマナ
「父なる神の前で賜物を磨く」

 「うまいねー」「やるねー」「いいじゃない」「賜物だねー」という声が交錯する。

 「広く浅く」という言葉が自他共に私の代名詞、なんでもある程度はこなすと自分でも思っていますが、けれどもどうしても苦手なことがいくつかあります。ほどほどに練習をしますが、少しも身に付かないのです。それは、「英語(英会話)」、「ピアノ」、そして「絵」です。クラリネットは身に付いていると誤解してますが(笑)

 上記の場面は、次女が夏休みの宿題の合間(?)にイラストを描いて家族に見せてくれた時のものであります。次女に与えられたセンス、感覚、賜物には、私にないものでただ驚くばかりです。次女だけではありません。長女も三女もそれぞれ賜物があるのです。
 
 いや、この世界に命を与えられた私達一人一人に、神様からのそれぞれ異なる賜物が命と共に与えられているのです。まずは、その賜物を見出すこと、見出させてあげること、そして認めること認めてあげること、そして磨くこと、磨けるように環境を整え、ほめ励ましてあげることです。

 次女には、「イラスト集を出すか」との親バカぶりです。父なる神様は、私達をきっとこのような同じ思いで見てくださっていると、私は心をはせます。
 
 「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互いのために役立てるべきである」(Ⅱペテロ4:10)
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