静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2007年09月23日 | 天のマナ
「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(愛修会の恵み)

 高原の山中湖のすがすがしさは、心を落ち着かせ、山中湖より富士山を見る雄大な景色と、ゆっくりゆっくりと流れてゆく雲は、時をじっくりと感じさせてくれました。夕方に、朝に、お昼前に湖畔へ行くと、心の奥から、「輝く日を仰ぐ時、月星眺める時・・・森にて鳥の音を聞き、そびゆる山に登り、谷間の流れの声に、まことの御神を思う・・・」と聖歌21番の「輝く日を仰ぐとき」が口から出てきました。

 今回の愛修会のテーマは、「賛美の素晴らしさ」でした。夕食後、レクレーション(ゲーム)をし、その後に、「賛美をささげる者の心構え」を学びました。翌日は、楽器をもって賛美する聖書の箇所を開き、実際にリコーダー(縦笛)をもって賛美を一曲合奏しました。初めてリコーダーをもった方、吹いた方がいましたが、1時間半後には、曲を奏でていました。
 
 旧約聖書のネヘミヤは、バビロン捕囚帰還後、エルサレムの城壁を神の民と共に再建いたします。しかし、多くの困難が起こります。しかし、上記のタイトルの御言葉(ネヘミヤ記8:10)によって、完成するのです。賛美をもって主を喜ぶことをあらわしましょう。力が沸いてきます。
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主日礼拝説教要約

2007年09月23日 | 説教要約
「だれも私のことを思って心を痛めない」 第一サムエル記22章1~8節

 イスラエルの初代王サウルは、家来であるダビデがどんどん強くなり、手柄を立て、みんなの人気者になっていく姿を見て、恐れを抱くようになりました。それは、「彼は、これからもっと強くなる。そして、私から王位を奪い、私の命、私の家族の命を奪おうとたくらんでいる」と思ったからです。自分の王位、自分の命、そして、家族の命を守るためにサウルは、何度もダビデを殺そうと試みますが、いつも失敗してしまいます。
 
 あるときは、サウルの娘ミカルがダビデを救い、またあるときは、預言者サムエルがダビデを救いました。そして、またあるときは、サウルの息子ヨナタンがダビデの命を守りました。こんなに自分がつらい思いをしているのに誰も自分の味方になってくれない、みんながダビデの肩をもつ・・。誰も私のことを思って心を痛めない・・・。サウルは、孤独の中で心がつぶれそうになります。
 
 しかし、本当に誰もサウルのために心を痛めなかったのでしょうか・・・?
そんなことは、ありません。彼は、とても多くの人に愛されていた王でした。
息子ヨナタンは、親友ダビデと父サウルの間に入りとても心を痛めていた人でした。そして、ヨナタンは、ダビデを愛していたからこそダビデの命を守りましたが、それと同時に愛する父に(殺人)罪を犯してほしくないとも思っていたのです。
サムエルだってサウルのことを思っていました。サウルは、神様の御言葉を捨てたことによって王位を退けられましたが、そんな彼のためにサムエルは、ずっと悲しんでくれました。「あなたは、いつまでもサウルのために悲しんでいるのか」と、神様に叱られるくらいサムエルは、サウルのことを思っていたのです。

 しかし、サウルは、彼らのそういった思いに気づくことが、できませんでした。
人に愛されることは、幸せなことです。しかし、いくらたくさん愛されていてもその愛に気がつかない人は、不幸です。私たちも、たくさんの愛をいただきながら、その愛に気づくことができず、サウルのように「誰も私のことを思って心を痛めない」と、言ってしまうことがあります。しかし、間違っては、いけません。わたしのために、あなたのために心を痛めてくださっている方が確かにいるのです。その方こそイエスキリストです。イエス様は、私たちのために体も心もぼろぼろになるほど傷ついてくださいました。私たちが癒されるために徹底的に苦しんで、悲しんで、傷ついてくださったのです。

 この愛に気づく時に人は、様々な恐れや悲しみや孤独から解放されます。この愛を信じて幸せな人になりましょう

2007/9/23 説教者 酒井有希子(清水教会牧師)
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講壇の花

2007年09月23日 | 生花

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