静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2006年12月24日 | 説教要約
「救い主を迎える」 ルカによる福音書2章1~20節

 クリスマス礼拝を迎えられる喜びを感謝いたします。

 クリスマスは、イエス・キリストの誕生日と人々は受け取っています。その通りですが、しかし、もっと詳しく見て見ますと、イエス・キリストが降誕した日と言えるのです。それは、父なる神様の許より、この人間の世界に降りて来て、誕生してくださったのです。それは、神から離れ、自己中心に歩み、迷って罪と傷の中にいる私達人間を救うためであります。「神は、そのひとり子(イエス・キリスト)を賜った(送ってくださった)ほどにこの世を愛してくださった」(ヨハネ3:16)とある通りです。

 この救い主イエスは、神の御位を置き、私達と同じ肉体をとられ(受肉)、馬小屋の飼い葉桶に寝かされるという驚くばかりのへりくだりを示されました。いいえ、それは誕生だけではなく、生涯を通して人に仕え、最後は十字架での死まで仕えられたのです(ピリピ2章6~8節)

 しかし、最初のクリスマスを迎えたのはわずかな人たちでした。羊飼いは、天使の告知に素直に応えた故に、救い主に逢えました。博士達は、救い主に逢いたいという求めをもって旅したので、救い主に逢うことができました。単純な信仰と追い求め続ける信仰を神様はほっておきません。けれども、ヘロデ王や聖書をよく知っている律法学者達は、プライドや頭だけの理解が邪魔をし、救い主を迎えることができませんでした。

 私達は、羊飼いや博士達のように、救い主を心に迎える者であり、救いの喜びをいただきたいのです。

2006年12月24日
説教者 杉本守牧師
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天のマナ(2006/12/24)

2006年12月24日 | 天のマナ
キャンドル.サービスの恵み」

 昨夜(23日夜)、キャンドル・サービスが持たれました。キリストの御降誕を喜び、ほめたたえる礼拝をキャンドルを灯して持ちました。なぜキャンドルを灯すのでしょうか。それは、神から離れた暗黒の世に、迷った社会に光として来られた救い主を、キャンドルを灯すことでおぼえるからであります。どんなに暗闇が満ちている場であっても、炎が灯され光が照りますと闇は押しやられてしまいます。「闇はこれ(光)に打ち勝たなかった」と御言葉にある通りです。

 世の光としてこられた救い主イエスを、私達の間に、そして私達の心に迎え入れましょう。どんなに社会に世界に闇が広がろうとも、どんなに闇が私達の心に影を落とそうとも、この光なる救い主を迎えれば、闇は追い払われてしまうのです。この光なる主イエスは、罪を赦し、心の傷を癒し、生きる命と愛を溢れさせてくださるのです。「すべての人を照らすまことの光があって世に来た」(ヨハネ1:9)。
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暗唱聖句(2006/12/24)

2006年12月24日 | 暗唱聖句
今日ダビデの町に、あなた方のための救い主がお生まれになった。この方こそ主なるキリストである」。
(ルカによる福音書2章11節)
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