「収穫は多いが、働き手が少ない」(マタイ9:37)
「信仰を捨てたくなったこと(クリスチャンをやめたいと思ったこと)はありますか?」と問われると、「一度もありません」と即答します。私にとっては主イエスと共に歩まないイエス様抜きの人生などありえません。「牧師を辞めたくなったことはありますか?」と問われると、「はい、時々あります」と即答します。「辞める」というか「召しの返上」ということでしょうか。「もう、35年牧師をしてますので、主よお返ししたいのですが・・・と」。昔の牧師先生方は、講壇で倒れるのが本望だったようで尊敬いたします。私の場合は、宣教も見えるようには進まず、牧会でも頭を抱えますと「もう十分」と上記のような気持になります。あるクリスチャンの医師が、「牧師は二番目にストレスが多い職種」と言われたそうです(一番目が皇室だそうです)。鬱になる牧師が増えています。教団の牧師隠退年齢は75歳で、私はあと18年。モーセもエリヤも燃え尽きた時があり、「私一人ではこの民すべてを負うことはできません。私には重すぎます。私にこのような仕打ちを続けるなら、むしろ私を殺してください。」(民数記11:14~15)、「主よ、もうたくさんです。私の命を取ってください」(列王上19:4)と言いました。「では辞めるのか」というとそうではなく、主の憐れみで続けさせていただくのです。なぜなら常に「神の召しの言葉」(タイトル)が語られ内に湧いてくるからです。
「信仰を捨てたくなったこと(クリスチャンをやめたいと思ったこと)はありますか?」と問われると、「一度もありません」と即答します。私にとっては主イエスと共に歩まないイエス様抜きの人生などありえません。「牧師を辞めたくなったことはありますか?」と問われると、「はい、時々あります」と即答します。「辞める」というか「召しの返上」ということでしょうか。「もう、35年牧師をしてますので、主よお返ししたいのですが・・・と」。昔の牧師先生方は、講壇で倒れるのが本望だったようで尊敬いたします。私の場合は、宣教も見えるようには進まず、牧会でも頭を抱えますと「もう十分」と上記のような気持になります。あるクリスチャンの医師が、「牧師は二番目にストレスが多い職種」と言われたそうです(一番目が皇室だそうです)。鬱になる牧師が増えています。教団の牧師隠退年齢は75歳で、私はあと18年。モーセもエリヤも燃え尽きた時があり、「私一人ではこの民すべてを負うことはできません。私には重すぎます。私にこのような仕打ちを続けるなら、むしろ私を殺してください。」(民数記11:14~15)、「主よ、もうたくさんです。私の命を取ってください」(列王上19:4)と言いました。「では辞めるのか」というとそうではなく、主の憐れみで続けさせていただくのです。なぜなら常に「神の召しの言葉」(タイトル)が語られ内に湧いてくるからです。