静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2013年04月07日 | 説教要約

「共におられる神によって」 マタイ28章11~20節

 本日は、復活祭記念礼拝です。そして、本日でマタイによる福音書を終えます。今後は、詩篇と交互にペンテコステまで、復活の主イエスの顕現についての記事から、み言葉をいただきましょう。

Ⅰ 弟子としなさい

 主イエスが昇天される前に、弟子達に言葉、大宣教命令を遺しました。ここに4つの動詞があり、命令形は「弟子としなさい」です。あとの3つは分詞形で表現されています。ある牧師は次のように訳しました。「全ての民を弟子としなさい。行きつつ。バプテスマを施しつつ、教えつつ」です。まずは、宣教のために出て行くことです。そして、信仰告白に導かれたら洗礼をさずけ、さらに聖書のみ言葉を教えて、成熟したキリストの弟子とすることです。牧師の弟子ではありません。キリストにしっかりつながり、キリストと生きた霊的な交わりし、キリストに献身する者であります。

Ⅱ 共におられるイエスによって

 裏切り、復活をなかなか信じれなかった弟子達には、宣教によって成熟したキリストの弟子を作るのは、困難であります。彼らの力や知識、人間的なものでは決してできません。では何によってそれはなされるのでしょうか。それは、共におられるイエスによってであります。イエスは天に帰られますが、降臨される聖霊なる神を通していつも共にいてくださり、聖霊を通して主イエスがご自身の力を注がれるのです。ですから、この大宣教命令をすることができるのです。事実、福音は全世界に伝えられました。

 私たちも、この主イエスが共にいてくださるので、この命令をなすことができるのです。

2013/4/7 説教者 杉本守

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天のマナ

2013年04月07日 | 天のマナ

「わたしの主権者は誰?」   「ただわたしのみ主である」(イザヤ書43章11節)

 先週、教団主催の春キャンプが大島泉の家にて、「主権」というテーマで47名が参加し持たれました。「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。」(ローマ11:36)とあるように、万物は主のものであり、主が主権をもってらっしゃるのです。私たちはすぐに勘違いし、自分で生きているように思いますが、実は、私たちのいのちも神から託され、私たちは生かされているのであります。また、私たちの所有と思っている時間も体も財も物も将来も、実は私たちのものではなく、所有者は神であり、私たちは信頼され預けられている管理者であり、使わせていただいている使用者なのです。「私が努力して合格した。がんばって賞を得た。一生懸命仕事をしてお金を稼いだ。だから自分のもので、自分のしたいことをしてしたいことにお金を使ってよい」と考えます。努力や向上心は素晴らしいものですが、それすらもいのち、健康、空気や水や光、食物の実り・・・人間が生きる基本的なものを神様が備えてくださっているからできるのではないでしょうか」。「自分が、自分の」という高慢を捨て、自分の栄光のためではなく、主権者なる神の栄光のためにありたいです。この主権者なる神は、あなたを愛し最善の導きをしてくださる方であります。

2013/4/7

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講壇の花

2013年04月07日 | 生花
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