「共におられる神によって」 マタイ28章11~20節
本日は、復活祭記念礼拝です。そして、本日でマタイによる福音書を終えます。今後は、詩篇と交互にペンテコステまで、復活の主イエスの顕現についての記事から、み言葉をいただきましょう。
Ⅰ 弟子としなさい
主イエスが昇天される前に、弟子達に言葉、大宣教命令を遺しました。ここに4つの動詞があり、命令形は「弟子としなさい」です。あとの3つは分詞形で表現されています。ある牧師は次のように訳しました。「全ての民を弟子としなさい。行きつつ。バプテスマを施しつつ、教えつつ」です。まずは、宣教のために出て行くことです。そして、信仰告白に導かれたら洗礼をさずけ、さらに聖書のみ言葉を教えて、成熟したキリストの弟子とすることです。牧師の弟子ではありません。キリストにしっかりつながり、キリストと生きた霊的な交わりし、キリストに献身する者であります。
Ⅱ 共におられるイエスによって
裏切り、復活をなかなか信じれなかった弟子達には、宣教によって成熟したキリストの弟子を作るのは、困難であります。彼らの力や知識、人間的なものでは決してできません。では何によってそれはなされるのでしょうか。それは、共におられるイエスによってであります。イエスは天に帰られますが、降臨される聖霊なる神を通していつも共にいてくださり、聖霊を通して主イエスがご自身の力を注がれるのです。ですから、この大宣教命令をすることができるのです。事実、福音は全世界に伝えられました。
私たちも、この主イエスが共にいてくださるので、この命令をなすことができるのです。
2013/4/7 説教者 杉本守