いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

のぞみで行く別府周辺弾丸ツアー(その6)

2014年01月10日 | 極楽日記(国内旅行)

 杵築の町が時代劇のセットと違うのは、人が生活している生きた町だということ。きっと元気な子供もたくさんいるのでしょう。

 バスターミナルのあるふるさと産業館もなかなか面白いですよ。この辺の海岸にカブトガニがいるんですね。

 こんな鍛冶屋がまだ残ってるんですね。

 一般的な包丁に加えて、農業や漁業などの幅広い需要に応えます。値段は安くないですが、看板を出さなくても馴染みの顧客が買ってくれるそうです。プロの道具としての信頼ですね。

 本多平八郎が兜に着けていたような鹿の角。

 バスは杵築を後にして湯布院へ。標高が高いので別府や杵築より更に寒いです。

 東京資本の大規模開発を避け、まとまった温泉街のない静かな温泉地、というイメージが浸透している湯布院ですが、大通りは商店と観光客がひしめき合って、夏の軽井沢や清里を連想させる賑わいです。

 軽井沢にもありそうな手作りジャムの店。

 山下清の美術館。

 こういう少女趣味なところも本州の高原観光地とよく似ています。

 こっちもちょっと子供っぽいですね。皆さんが求める湯布院らしさとはこういうものでしょうか?

 こちらはもう少し大人の感じ。いろいろな資本がモザイク状に入り込んで、決して統一された雰囲気の町ではありません。

 自動車関係の展示と思われますが。

 博物館と言うよりは寄せ集めのB級スポットですな。これは。

 有名スポットの金鱗湖。広さは釣堀ぐらいしかありません。観光の目玉としては弱いですね。少なくとも短時間で表通りを歩く限り、湯布院らしさというのは今ひとつわかりにくいです。
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のぞみで行く別府周辺弾丸ツアー(その5)

2014年01月09日 | 極楽日記(国内旅行)

 宿については、昔ながらの団体客向けの宿という以上に印象はないですねえ。部屋は清潔で畳も新しいんだけど、空調が不十分で寝具も整っていなかったので寒い思いをしたとか、敷布団が今時珍しいほどの煎餅布団で背中が痛くなったとか、まあ学生向きのスキー宿に毛が生えた程度と思えば腹は立ちません。

 夕食も品数は凄いでしょう。でも刺身がペラペラに薄くて乾いていたり、大概の皿が冷めていたりで、食べてて何だか寂しくなってきます。作っている方は毎日大変な思いをしてこれだけ揃えているんでしょうが、努力が空回りしていないでしょうか。見栄えは相当なものですから、多分旅行業者向けのプレゼンでは評価が高かったんでしょう。30年前に観海寺温泉に泊まったときも、大きくて立派なホテルなのに血の通わないサービスにがっかりしたものです。別府全体として、湯布院や黒川に個人客を取られるだけの理由はあると思いますよ。

 食事のサービスをしてくれたのは東南アジアの若い女性で、「研修生」と名札を着けていました。それ自体は問題ではありません。しかし、別府温泉の団体旅館は昔から、立場の弱い人を臨時で安く使うことに慣れ切っている感じがします。30年前もそうでしたけど、「今シーズンはこの宿だけど、昨シーズンはあっちの宿で働いてた。パートだからシーズンオフは仕事がない。」そんな従業員ばかりだから、宿に対する帰属意識がとっても低いし、従業員同士の連携も悪い。今の別府に泊まるのなら、小規模な家族経営の宿の方が気分良く泊まれるのではないでしょうか。もっとも、大手旅行会社のツアーがそんな小さな宿を利用するとは思えませんがね。

 朝はブッフェでした。人件費を削減したいなら夕食もこの方が気兼ねせずに楽しめると思います。

 三十年が一日の如き別府の旅館を後にして、バスは国東半島の杵築に着きました。幸いなことに?こちらはもっと変わらない歴史があります。

 有名な勘定坂。武家屋敷と言えば、時代劇に出てくるような白壁の屋敷町を連想するのですが、これは公用の建物や最上級の旗本や藩士の屋敷に限定されます。

 藩士と言っても余程の重鎮以外は土壁に茅葺です。

 それでもこちらの北台は上級藩士の屋敷町だったそうです。角で改修しているのは大原邸。この酢屋の坂を下りると商人街、向こうの坂を上ると南台になって、北台よりは身分の低い藩士の屋敷町だそうです。2つの高台よりなる武家屋敷の谷間に町民が商売を営む特異な構造の町で、サンドイッチ形などと呼ばれています。

 武家屋敷なので藩校もあって、往時の雰囲気を偲ぶことができます。江戸時代から日本人は教育熱心でした。

 二宮金次郎の銅像もここでは現役。

 谷間にある商人街も、昔の姿で営業中です。ガラスが障子になれば、そのまま江戸時代の商店ですね。

 この味噌屋は老舗で、遠くから買いに来る人もいるそうです。

 何とも渋い店構え。こんな町をゆっくり歩いて、雰囲気のある喫茶店でのんびりしたい気がしますが、周遊型のパックツアーゆえ時間がありません。
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のぞみで行く別府周辺弾丸ツアー(その4)

2014年01月08日 | 極楽日記(国内旅行)

 共同浴場の上人湯。地元の人向けの小さな浴場ですが、観光客も入浴札を買えば入れます。広々とした旅館の内湯や、設備の整った温泉施設がいくつもある現状では、限られた需要しかないと思いますが。

 ここまでがいでゆ坂ですね。向こう側はみゆき坂。

 案内図にあるように、この辺には観光用の地獄めぐり施設が集中しています。

 白池地獄は白濁する湯が特徴。硼酸の含有量が多いらしいので、洗眼したい人にはいいかも。

 金龍地獄はお休み中です。地獄めぐりも観光客の嗜好に合わなくなってきたということでしょうか。家族連れやカップルで賑わう湯布院と比較すれば、九州観光のニーズが大きく変化したことがわかります。

 鬼山地獄も人出はちらほら。

 かまどのあるかまど地獄。

 この辺は各種地獄の集中する地域です。種類は多いんですが、一つ一つの規模がそんなに大きくないので演出を競ったにしてもどこか箱庭的で、手を加えていない(手を加える必要のない)箱根の大涌谷とか北海道登別の地獄谷、九州なら雲仙地獄の方が迫力があると感じる人が多いでしょう。昔は喜ばれたんでしょうけどね。

 そういうことで、入場したのはこの海地獄だけです。別府の各種地獄の中で規模が一番大きく、ここだけ見ておけば十分だと思います。これは30年ほど前に家族旅行した経験から。

 この湯気はやはり凄いですね。

 お湯が青いので海地獄です。

 血の池みたいな赤い源泉もあります。

 ちょいと足湯に浸かって地獄めぐりは終了。
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のぞみで行く別府周辺弾丸ツアー(その3)

2014年01月07日 | 極楽日記(国内旅行)

 パスは別府市に入りました。

まずは別府八湯のひとつ、明礬(みょうばん)温泉です。
 
 温泉から明礬を採取する小屋が立ち並びます。この伝統的な明礬採取方法は、国の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。

 見学用の小屋。本来は締め切って空気の出入りを最小限にしないと、良質の明礬が採れないとのこと。良質の明礬は白色。

 こういう黄色っぽく着色した明礬は品質が低く、売り物にはなりません。と言っても、天然明礬なんて今でもそんなに需要があるんですかねえ。

 温泉ももちろんありますよ。明礬温泉地区は標高が高く閑静な土地で、昔ながらの小規模な旅館が多いようです。静か過ぎて、あんまり子供向きじゃないかなあ。時間貸しの「家族風呂」の看板があちこちに見えました。

 平地への下り道で見えた小城。貴船城と言うらしいです。鎮西八郎為朝の築いた城を再建したという来歴もあるみたいですが、どう見ても平安時代の砦には見えませんね。某宗教法人がシンボルとして建築した観光用の施設であって、もちろん有料。中では「有難い」白蛇様に触れることができたり、白蛇様の革でできたお守りを買うことができたり、という怪しいスポットだというレポートが何件かあり、その方が本当らしく思われます。

 別府の宿は鉄輪(かんなわ)の風月さん。正月飾りが賑やかです。

 別府は表通りに出ても、ありきたりな地方都市であまり面白くありません。やっぱり裏から出て昔ながらの温泉街へ。その名もいでゆ坂。

 一遍上人ゆかりの永福寺。これは石碑だけ。

 お寺はこの左側のようですね。最初に見たとき、お寺が温泉閣を経営しているのかと思いましたがそうではなかったようです。

 いでゆ坂を上って行くと無料の足湯が。

 こっちは地獄蒸し工房。見るだけでも楽しめます。

 飲泉は無料。ハングルの案内が目に付くのは、韓国からの観光客が多いから。

 せっかくなので中も見てみましょう。

 すごい湯気の勢いです。しかも無尽蔵。まさに地の恵み。

 自販機で材料と釜の利用券を買って、自分で調理するのがここの楽しみ。旅館の食事があるのでやりませんでした。

 こんな砕けた宣伝。マスク着用での入浴も歓迎、とあります。
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のぞみで行く別府周辺弾丸ツアー(その2)

2014年01月06日 | 極楽日記(国内旅行)

 羅漢寺までは行きませんでしたが修行の場として昔から有名だそうです。元々、「恩讐の彼方に」のモデルとなった善海は羅漢寺への入門を許されたいがために洞門を掘り始めたということです。仇討ちについては菊池寛の創作で、洞門が開通するまでに善海は辛苦のため盲目になっており、工事に携わった村人や石工たちが洞門の通行料で善海が生活できるようにしたと伝えられます。小説とはストーリーが違いますが、これはこれで感動的な話です。左側に階段が見えますが、これがずっと上まで続いており、先ほどの断崖絶壁の通路に繋がっています。

 青の洞門、と言われるのは地名が「青」だから。カプリ島の青の洞窟とは違います。

 本当にここしか道がなかったのでしょうね。

 吹き曝しの峡谷を離れて、室内でぬくぬくと景色を眺めながら昼食です。

 大分名物のだんご汁。だんごと言うより山梨のほうとうに似ています。

 唐辛子のことを「こしょう」と称するのは九州北部の慣わし。

 食事をしている間に晴れてきましたよ。

 暴れ川として恐れられた山国川も、なかなかの絶景です。

 ただし今でも油断は禁物。これだけ橋が高い位置に掛けてあるということは、ここまで水が来るということです。

 青の洞門で楽しみにしていたのがここ。中津名産のから揚げ専門店です。メニューは1つだけ。ちょうど揚がったところで首尾よく買えました。バスの出発時刻が決まっているので、待たされたらどうしようと心配していたのです。

 ほら、これが本場のから揚げ。

 やっぱり揚げたてが一番ですね。
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のぞみで行く別府周辺弾丸ツアー(その1)

2014年01月05日 | 極楽日記(国内旅行)

 クラブツーリズム名古屋発の、「気軽に別府温泉」コースに参加してみました。朝が早いのでとりあえず名古屋駅まで出て、集合場所近くで朝食を買い込みます。

 のぞみで名古屋から北九州は小倉まで一直線。小倉では別府から亀の井バスが迎えに来てくれました。今では西鉄傘下の一地方バス会社ですが、戦前からの歴史があり、日本で最初にバスガイドを乗務させたのは同社だそうです。

周防灘の海沿いを走る国道10号線を南東に進み、最初の休憩は上毛町のこうげ武楽里なる複合施設です。とても広いのですが、時間の都合で立ち寄ったのはこのさわやか市だけ。

 道の駅みたいなものですから、こういう弁当類は当然ですが、

 種類が多いですね。そんなに利用者が多いんでしょうか。

 福沢諭吉はこの辺の出身だそうです。

 食材が豊かな土地であるのは見ての通り。保存性を考えて柿の葉寿司を買ってみました。

 パンやお菓子類も充実。自家用車ならもっと買い込んでたでしょうね。

 最初の観光地は青の洞門。しかし九州まで来て雪とは。

 この辺は明り取りの窓。

 山のど真ん中に開けたトンネルじゃなくて、絶壁を抉ったトンネルです。ご覧のように、岩壁と山国川がぴったりくっついていて、川沿いに通路がなかったのです。

 険しい本耶馬溪の地形。

 洞門ができるまでは、岩壁を登ったところに辛うじて抜けられる通路がありました。人のみならず、荷物を背負わせた馬まで通っていたということですから驚きます。

 拡大するとこんな感じ。あまりに危険なので鎖を取り付けて、いわゆる鎖場になっていました。数十年前はここまで登って見学もできたそうですが、岩壁の崩落が進み危険なので立ち入り禁止に。
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年末の有田みかん

2014年01月04日 | 極楽日記

 今シーズン3度目の箱買いです。家庭用の無選別みかんを10kg。今回は和歌山県から。

 完熟みかんは傷みやすいので、こんな感じでみかん同士が重ならないように広げて、温度の低い部屋で保存します。
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クリスマス当日

2014年01月04日 | 極楽日記

 クリスマスの朝になりました。中学生だからプレゼントを貰えないかも、と少々心配していた極楽息子(大)にも例年通りサンタクロースが来たようです。

 パーティーはもう済んでいるので、じいちゃんとばあちゃんに来てもらって簡単にお祝いしました。
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