壮麗な大建築の谷間にあり目立たない玉瀾堂。西太后の傀儡であった光緒帝は、西太后から権力を奪取して国家体制を日本の明治維新に倣って改革することを狙っていました。いわゆる戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)です。しかし改革の支持者だったはずの軍閥、袁世凱が裏切って西太后に付いたため、逆に光緒帝が軟禁されることになります。それがこの建物。その後光緒帝は西太后に赦されて元の傀儡に戻りますが、自分の死期が近いことを悟った西太后あるいは報復を恐れる袁世凱に砒素で毒殺されたと言われています。
幽閉された光緒帝が毎日、心を慰めたであろう庭園です。
名園ですから、こんな銘木がたくさん。現地で白皮松と呼ばれているシロマツです。
肌はプラタナスみたいに白くて剥れやすく、葉は松の木そのもの。中国中部から北西部に自生します。
楽寿堂は西太后の居室だったようです。美貌を保つために人間の母乳を供出させて飲んでいたとか、食事は100皿以上の満漢全席とか話が大きくなりすぎて、どこまで本当かよくわかりません。現代なら他人の母乳なんて、HTLV-I感染もちらついて気味が悪いですけど。今の中国でも西太后は美貌の象徴であり、化粧品の宣伝などに使われるそうです。
当時の宮廷人はこんな奇岩が好きだったようです。
700mを越える長大な渡り廊下の長廊、じゃなくてそれに繋がる通路でしたかね。余りに広いので場所がわかりにくいです。
いろいろな形の空窓があり、ここから昆明湖を眺めるのはまた違った楽しみだそうです。ガイドによればこの壷の形のがお奨めとのことですが、他のとどう違うのかわかりませんでした。