チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

明石市大蔵 稲爪神社秋祭り

2008-10-13 15:13:49 | 明石風物
10月12日(日)

 明石市では、神社やお寺に設置されている保育園がたくさんあります。神奈川のほうでは、お寺の幼稚園はありましたが、神社というのは記憶がありませんし、保育園というのもなかったような気がします。

 KAZUの保育園は山陽電鉄「人丸前駅」の南東、歩いて2~3分(私の住まいからは10数分)のところにありますが、実はこの保育園も「稲爪神社」の境内にあり、宮司さんが園長先生なのです。

 
 この神社の歴史はかなり古いようで、推古天皇の時代というから聖徳太子が活躍していた頃でしょうか、三韓の兵が攻めてきた時に、この地で大山祇命が稲妻とともに現れ、そのおかげで敵方の鉄人を駆逐したという伝説が由緒になっていて、祭神は大山祇命です。


 さて、今日は稲爪神社の秋祭りです。「お店も出ているかもしれない、行ってみよう」ということになりました。娘がお祭りは夕方だということを耳にしていたので午後4時過ぎに着きました。ところが境内は閑散としていて、お店も数店、お客さんも全くなく休業状態。あっけにとられて参道から旧道に出ると、お年寄りが椅子に座って東の方に首を向けて何かを待っている風情、そして、その方向へ歩いて行く半纏姿の若者が数人。
 どうやらそっちのほうに何かがあるようだと、足を進めるうちにだんだん人が多くなって、もう私の住まいも近くなってしまったと思った所に、町の人たちがたくさん集まっていて大賑わいでした。ここは摂社の八幡神社で、鉄人を矢で射抜いた小千益躬(おちのますみ)が祀られています。鳥居の前には着飾ってお化粧した稚児たち、踊り子の着物姿のおかみさんたち、赤と黄色の揃いの法被姿の若者たち、あたりを仕切っている町内のお偉い面々。

  怪訝そうな表情のKAZU
     

 突然そこにトラックが二台。一台から装束姿の園長先生と天狗のお面の舞人が降り立ち、もう一台に乗っていた立派な御神輿も八幡神社の境内へ運ばれました。神前での祝詞奏上と天狗の剣舞がおごそかに行われると、次は、鳥居の前の路上での稚児たちによる口上や「牛乗りの神事」という儀式になりました。

   

 やがてその牛を先頭に、稚児行列、中学生の楽隊、民謡に合わせた踊りの列、山車、女神輿、若者神輿、本神輿の順で、行列が稲爪神社までの1kmほどの旧街道をゆっくりゆっくり練り歩くのです。

     


    幼子もこの地の人と秋祭り   弁人


 KAZUは山車や神輿が来る前に寝てしまい、日も暮れてしまったので、私一人が残り、親子3人は先に帰りました。


 見上げると明石海峡大橋の上に月がくっきり、「もしかすると十三夜だったかもしれない(帰宅後調べると前日でした)」という感慨に、しばしひたってしまいました。
 ところで、神輿の掛け声ですが、東京の下町とは天と地ほど異なり、よく言えば品があるということなのかもしれませんが、かなりゆっくりとしたリズムで「ヨーイヤ、サージャァー」と唱和します。時々、ワーッとなって、神輿を掲げてワイワイしますが、また元の掛け声に戻ります。祭りは大いに盛り上がって、柳田国男ふうに言えば「しゅんで来ている」のですが、日が短くなった秋冷の宵、月の光を受けて、どことなく寂寥感が漂っていました。
   
  

    秋祭り意気込むほどにいとあはれなり  弁人



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2 コメント

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ちむー(*^▽^*)ノ♪♪ (なつき)
2008-10-15 00:18:09
ちむーっ
ブログ全部みたぁ
すごい良いところだねぇ良いなぁ
カズくんも可愛い
今度小田原じゃなくても逗子戻ってきたときとかに
飲もうねっ
今日連絡くれてありがとう
返信する
元気そうだね (チムどんどん)
2008-10-16 16:45:34
小田原は懐かしいよ。「外郎売の口上大会」というのが8月にあったんだ。数回行ったんだけど夏休みで週末だったしね。
  だいちくんにもよろしくね。
返信する

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