チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

鎌倉の「大町四つ角」を南に入ると・・

2022-05-09 15:41:07 | 湘南・鎌倉・三浦ぶらり
5月9日(月)

 4月からのNHKの連ドラが「ちむどんどん」とかで、ちょっと気分複雑。ブログ更新する気力が萎えていた中、連休の直前に八幡宮にある鎌倉国宝館へ行ったところ、鎌倉は今、これまたNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のおかげとばかり、人集めに余念ありません。
 ふだんは静かで落ち着いている国宝館も、大河ドラマ館とのセット入館券があって、けっこうな賑わい。調べ物の質問を抱えていても遠慮がちになってしまいます。

 ということで、コロナ禍での三回目のゴールデンウイークは今年も家で静かにというところでしたが、5月に入って東京の孫が遊びに来ることになって、「柏餅くらいは用意しておきたい」と鎌倉の和菓子屋さんへ行ってみようかなと。

 もちろん逗子にも和菓子屋さんはあるのでしょうが、以前に私が行ったことのある二つのお店が明石から戻って来た時にはなくなっていまして、最近は、鎌倉を歩いたついでにふと買って帰るお店が二つ。一軒は、八幡宮の東、国大附属小の手前の「旭屋」で、もう一つは、大町四つ角の「大くに」です。

 この日は大町四つ角の「大くに」さんに。この「大くに」さんの界隈も史跡がたくさんあるので、柏餅を受け取る前に少し歩いてみました。

 段葛のある若宮大路の一本東、先ほどの和菓子屋「旭屋」さんの手前、金沢街道の宝戒寺の前から南に下って、九品寺の先の材木座海岸へ伸びるのが「小町大路」。駅前の本覚寺の裏の夷道橋を渡って「大くに」さんのある大町四つ角を通っています。

 この日はその「小町大路」を大町四つ角から南へ向かって歩くことに。

 すぐに朱色の橋を渡ります。
  「魚町橋(いをまちはし)」
  

 橋の向こうに石碑がありまして、見ると、この界隈は昔の商店街?かなり賑わっていた所だったようで、
  その石碑「町屋阯」
    

 そのちょっと先、左に目立たない細い路地がありまして、入ると、「鎌倉十橋」の一つ、
  「逆川橋(さかさがわばし)」
  
  

 小町通りを八幡宮の脇まで真っ直ぐに進んで行くと、手前右に多くの人が目にする「鉄の井」という史跡がありますが、鎌倉には昔から有名で今は史跡となっている十の井戸と十の橋があって、称して、それぞれ「鎌倉十井」・「鎌倉十橋」と。
 この「十井・十橋」、いくつか写真がありますので、別の機会にその都度載せたいと思います。
 ちなみに、上の「逆川橋」は「十橋」の一つですが、最初の「魚町橋」は入っていません。

 小町大路に戻ると、前方に横須賀線の踏切が見えますが、その手前右側に

  辻の薬師堂
  

 今は小さなお堂ですが、二階堂や名越を転々として来たお薬師さんで、鎌倉国宝館にメインで鎮座している「薬師如来像」と「十二神将立像」はここの仏像とか。ということを数日前に国宝館で知ったばかりだったこともあって、興味深く、初めてお参りしました。

 そして、踏切を渡って右に入ると、

 こんもりとした緑の中に朱の鳥居。
  元鶴岡八幡宮(由比若宮)
  
  

 このお社、源氏と鎌倉のつながりの第一歩とも言われていますが、そのへんのことは

  「御由緒書き」にて
    

 前九年の役をともに戦った源頼義の子が義家(頼朝の祖父為義のそのまた祖父)。その「義家の旗立松」とありますが、

 これがその名残の松の根なのでしょうか、
  太い切り株が鎮座
  

 こじんまりとした境内ですが、八幡宮らしく若葉を湛えた
  イチョウの大木が3本
  

 そして、御本社の石清水八幡宮にあやかったのか、正面鳥居の右の路地に、
 「鎌倉十井」には入っていませんが、
  「石清水の井」
  


   往にしへの風の香りや鯉幟  弁人


 柏餅を受け取る前のわずか数十分の散策でしたが、けっこう中身のある散策となりました。


コメント
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