チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

0系新幹線の思い出

2008-12-02 16:00:06 | 鉄道
12月2日(火)

 先週は「0系新幹線引退」のニュースがさかんに流れていました。一昨日11月30日の山陽新幹線「こだま号」がラストランで、44年の歴史に幕が下ろされたようです。超満員とのこと。せめて西明石に行って、ホームから眺めてみようかと思いましたが、感傷的過ぎるかなという思いでやめました。なつかしい思い出のある人には感慨もひとしおというところでしょうが、どの世界も時代の流れには逆らえません。やはり「老兵は消え去るのみ」というところではないでしょうか。

      

 実は、私にも思い出があるのです。1964年10月1日、新幹線開通の1番列車、東京駅6:00発「ひかり1号」に乗ったのですから。
 44年前の記憶は今でも鮮明です。

 叔父の知人に、「国鉄」の駅長をしている人がいて、1枚手に入ることになり、その話が私の耳に入ったのです。誰だって乗ってみたい気はしますが、まさか中学3年生の甥ッ子が乗りたいと言い出すとは思わなかったのかもしれません。しかし結果的に駄々が通り、私が乗ることになったのです。

 家族や親戚の人に連れられて東京駅に。まるで一族郎党の代表のような気分でした。ホームは報道陣や関係者であふれ、1号車の前での国鉄総裁のテープカットなどのセレモニーにはとても近づけませんでしたが、列車が定刻に動き出した時は大人ばかりの車内なのに興奮のどよめきが起こりました。
 通路には、報道の人たちが行ったり来たり、インタビューを受けている人もいました。

 ビュッフェという立ち席の軽食堂車があって、そこにアナログ式のスピードメーターがありました。小田原手前の鴨宮線区で最高速度を出すという情報があり、私は発車して間もなくカメラを持って出向きました。210キロの計時をカメラに収めて自席に戻る時、NHKの鈴木健二アナウンサーと目が合って興奮したのも覚えています。

 上空には、テレビ中継のヘリコプターが東京からずっと追っかけていました。名古屋と京都の二駅に停車した列車は10時10分に4時間10分かけて新大阪駅に着きました。

    大阪へ停車は二駅秋うらら   弁

 
 当時の写真や切符はこちらに持ってきていないので、ここで紹介できず残念です。
 ところで、この時の切符にはちょっとにがい思い出があります。新大阪駅では記念にということで回収にこだわっていませんでしたが、乗車券が「大阪電環行き」だったので、私は外に出ずにそのまま大阪駅を経由して環状線に乗り、大坂城公園駅で降りたのです。しかし、どんなに事情を話しても、そこの駅員は切符を回収しないということはあり得ないという一点張りで埒があきませんでした。そのまま新大阪へ戻ろうかと思っている時に、どこかと連絡がついたようで、「無効」というゴム印をべったりと押して渡してくれました。傷つきやすい中学生の心に、わずかな区間の運賃を惜しんだことへの後悔の念が残りました。

 
 この頃の私は「鉄っちゃん」ぽいところがありました。万世橋の交通博物館が大好きでしたし、中学2年生の時の修学旅行に行かずに、小遣いをためて、初めての長距離旅行にも行きました。夜行列車で京都へ行き、再び夜行で諫早へ。雲仙に登って、島原から天草へ渡り、熊本から寝台特急の「はやぶさ」で帰って来ました。3日目の朝の、鳥栖から先の長崎本線は蒸気機関車で、確かC-11形だったような気がします。 
 夜行三泊、ユースホステル二泊の旅でしたが、当時は「青春18キップ」なんてものはなかったので、逆に憧れのブルトレに乗れたのかもしれません。

 昨今、SLの人気も大変で、各地でイベント運行をしているようですが、電化された区間で架線ガあるのに、もうもうと煙を吹き上げて行くのはどうかと思っています。


 新幹線の話に戻って。
 このあいだ逗子に帰った時の帰途です。連休で混んでいたので、初めは新大阪止まりの列車を予約したのですが、1日2往復の博多行き「500系のぞみ」の席が空いていたので変更しました。
 後ろの座席の小学生とお父さんの二人連れは、どうもこれに乗るのがお目当てだったようで、「500系」の話に夢中になってご満悦でした。
 この車両はJR西日本の制作で、山陽新幹線が中心であるとか、700系が主役になった現在、だんだん少なくなっていくということや、デザインの評価が高く、10年ぐらい前にいろいろな賞をとったということなどを二人の会話で知りました。(あとで調べました。96年に通産省グッドデザイン賞、98年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞)

     窓の秋乗り物好きな男の子   弁人

      

 たしかにカッコイイ! でも、天井が低く乗り心地は今一つの感でした。

 この車両も、ゆくゆくは惜しまれて引退するのでしょう。主流の700系は不細工だと言っても、そのうち見慣れてかっこよくなるのが時の流れ。性能と居住性にすぐれているのですから文句は言えません。

 そんなことより、KAZUが「これに乗りたい、あれに乗りたい」と言うまで元気でいられるかどうか、こちらのほうが問題です。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする