レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『草の花』の紹介のしかた

2013-05-12 06:22:49 | 
このごろ、ネットの上での本の新刊情報が遅くなっていないだろうか。
 数ヶ月前までは、特にコミックスは、月の下旬あたりには再来月のぶんが、「大洋社」に不完全ながらも載っていた。しかし現在、5月11日、まだ6月のが出てこない。「6月 コミックス 新刊」などで検索してもほとんど発見できない。
 マンガ以外、文庫の新刊案内もそうだ。いまになってもまだ6月のがわからない。角川文庫のサイトを見てもまだ、集英社文庫でも今月までしか載っていない。大きなところでの方針変更でもあったのだろうか。
 

『生き方がみつかる 青春の読書案内』 小川義男監修  小学館

 この本の中での『草の花』についてまえに取り上げたことがあるが、借りてきたのでもっと正確な引用をして訂正と追加をしておきたい。(それに伴い、前の記事は削除した)

「旧制高校時代、汐見は1年後輩の藤木忍の美しい魂を愛し、純粋な愛を捧げた。
 大学を卒業した彼は、藤木の妹・千枝子に恋をする。
 いずれも、魂を美しくすることを求めた愛であり、恋であった。
(略)
 自分は平凡な人間だという藤木忍は、(略)汐見の友情を退け、二十歳になる前に、病でこの世を去った。
 千枝子は(略)彼から去っていった。
(略)
 汐見の述懐は、恋愛は孤独の極みであり、人間は誰しもがひとりであることを、私たちに切々と訴えてくるのだ」

 「旧制高校」が男だけであることを知らなければ「藤木忍」が女だと思ってしまうかもしれないと前には書いたが、引用のセリフに「僕」とあるのでその誤解はないかと認識を改めた。しかしやはり、藤木が美少年であることも汐見にとって意味を持っていなかったとは思えない、それを無視しているのはいかがなものか。私がこのブログで前に書いたことがあるが(2006.6.7)、柴門ふみの指摘のように、私も、汐見は藤木忍に「恋」を、千枝子にむしろ友情を抱いていたと思う。しかし上記の本ではそれを逆に見せたいようだ。この本を紹介しているのは『友情を考える』の章であるし。ほかに『こころ』『友情』『走れメロス』など。『愛を知る』には『春琴抄』『伊豆の踊子』『野菊の墓』『雪国』『風立ちぬ』など。(ここでは古典ばかり挙げているけど現代もあるので念のため)
私が学部2年のときにドイツ語の時間に『トニオ・クレーゲル』を購読したが、トニオのハンスへの「友情」と訳した学生に対して先生が、「友情」は逃げですね、これは「愛」です、とコメントしたことを思い出す。  「恋」のほうがもっと適切だと思うが。
コメント
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