レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

ささやかな地異

2010-04-25 07:17:24 | 
「ささやかな地異は そのかたみに 
 灰を降らした この村に ひとしきり
 灰はかなしい追憶のように 音立てて
 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた」

   立原道造『はじめてのものに』より。

 ここでいう「ささやかな地異」とは浅間山の噴火だそうだ。ささやかでない地異で各国が迷惑したのでその連想。こういう天災は地域や国が損害賠償を要求されたりしないのだろうか、アイスランドもたいへんなのに。

 上記の詩は、女子高の受験のときに出た。読んだことはあったし、作中に出てくる「エリーザベトの物語」がシュトルムの『みずうみ』であることも知っていたのでたいへんらっきーであった。

 立原道造という名前を初めて目にしたのは、池田理代子の『おにいさまへ・・・』と、木原敏江作品またはエッセイとどちらが先であったろうか。
 前者では、お嬢様学校のとある面接で、主人公が「好きな作家は?」ときかれて「立原道造とライナー・マリア・リルケです」と答えて、上級生たちがくすっと笑うので、「子供っぽいって思われたのかしら」と思う場面があった。(それで背伸びして「サドも」なんて付け足してみると「どんな作品がお好き?」と追及されて、赤面するばかりになる) 当時はもちろんサドなんて知らなかったが(今だって読んだことはない)、あやしいものらしいという印象をここで持った。リルケって子供っぽいかなぁ、けっこう難解だと思うが。
 木原さんがエッセイで、立原道造と沖田総司をだぶらせていたので、かつての新選組同人誌ではこの詩人はわりにポピュラーであった。『日なたへ日かげへのロマンス』でも引用していた、「むかしむかし そのむかし 子供は花のなかにいた しあはせばかり 歌ばかり」(『風のうたつた歌』) もっとも、詩の全体を知らないとこのマンガのタイトルの由来もわからないのだな。 でも、そのときわからなくてもあとになって、これだったのか!とわかる楽しさというものがある。少し昔の名作マンガにはそういう要素が濃い。広い意味での古典から栄養分を採り入れていたということだ。

 「本」と「マンガ」のどちらに分類すべきか迷うことが多いし、途中でずれることもたびたびある。今回もまたそうなった。
コメント
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