優しく大人しいというのが、3/11の災害で日本人の取った行動に対する世界の印象のようである。暴動もなく黙々と瓦礫の山を片付ける人達に賛嘆の声を挙げた外国人記者も居たようである。その影で何百年に一度という自然災害に紛れて福島原発災害の責任が曖昧模糊としてゆくのも事実である。
不運や厳しい仕打ちを耐え凌ぐのは、立派なことで一つの強さだと思うけれども、相手を気遣い事を荒立てないのを美徳とされるけれども、そうした性向で現実を直視する力が削がれているのではないかと懸念する。日本人はとひとくくりには出来ないといっても、はみ出し者は除け者にされるので、結局ひとくくりに出来るのだが、「これでいいのだ」ではなく「これでいいのか」と現実を見据えて強く反撃してゆくことが、今の危機には必要だと思う。バカボンのパパの台詞を鵜呑みにされては困る。バカボンのパパは現実を直視することをはみ出すことを「これででいいのだ」と開き直っているのだ。
大津波で唯一残った松一本、それを復興の希望の象徴のように取り上げるのは情緒過剰ではないかと思う。そうした話題を否定しないけれどもその影に隠されてしまう現実があっては拙い。ZZの本を読んではいないが、題名を思い起こした。